とんすとん音がすると思ってる内に、伯父さん百合餅《ゆりもち》ですが、一つ上って見て下さいと云うて持って来た。
 何に話がうまいって、どうして話どころでなかった、積っても見ろ、姪子|甥子《おいご》の心意気を汲んでみろ、其餅のまずかろう筈があるめい、山百合は花のある時が一番味がえいのだそうだ、利助は、次手《ついで》があるからって、百合餅の重箱と鎌とを持っておれを広福寺の裏まで送ってくれた。
 おれは今六十五になるが、鯛《たい》平目《ひらめ》の料理で御馳走になった事もあるけれど、松尾の百合餅程にうまいと思った事はない。
 お町は云うまでもなく、お近でも兼公でも、未だにおれを大騒ぎしてくれる、人間はなんでも意気で以て思合った交りをする位楽しみなことはない、そういうとお前達は直ぐとやれ旧道徳だの現代的でないのと云うが、今の世にえらいと云われてる人達には、意気で人と交わるというような事はないようだね、身勝手な了簡より外ない奴は大き面をしていても、真に自分を慕って敬してくれる人を持てるものは恐らく少なかろう、自分の都合許り考えてる人間は、学問があっても才智があっても財産があっても、あんまり尊いもので
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