っけ》にとられたらしい。黙って予の顔を見て居る。予も聊《いささ》かきまりが悪くなったから、御馳走して貰って悪口いうちゃ済まんなあ。失敬々々。こう云ってお茶を濁す。穏かな岡村も顔に冷かな苦笑を湛《たた》えて、相変らず元気で結構さ。僕の様に田舎に居っちゃ、君の所謂《いわゆる》時代の中心から離れて居るからな、何も解らんよ。とにかくここでは余り失敬だ。君こっちにしてくれ給え。こういって岡村は片手に洋燈を持って先きに立った。あアそうかと云いつつ、予も跡について起つ。敢て岡村を軽蔑《けいべつ》して云った訳でもないが、岡村にそう聞取られるかと気づいて大いに気の毒になった。それで予は俄《にわか》におとなしくなって跡からついてゆく。
 内廊下を突抜け、外の縁側を右へ曲り、行止りから左へ三尺|許《ばか》りの渡板を渡って、庭の片隅な離れの座敷へくる。深夜では何も判らんけれど、昨年一昨年と二度ともここへ置かれたのだから、来て見ると何となくなつかしい。平生は戸も明けずに置くのか、空気の蒸せた黴《かび》臭い例のにおいが室に満ちてる。
「下女が居ないからね、此の通り掃除もとどかないよ。実は君が来ることを杉野や渋川にも知らせたかったが、下女がいないからね」岡村は言い分けのように独《ひとり》で物を云いつつ、洋燈を床側に置いて、細君にやらせたらと思う様な事までやる。隣の間から箒《ほうき》を持出しばさばさと座敷の真中だけを掃いて座蒲団《ざぶとん》を出してくれた。そうして其のまま去って終った。
 予は新潟からここへくる二日前に、此の柏崎《かしわざき》在なる渋川の所へ手紙を出して置いた。云ってやった通りに渋川が来るならば、明日の十時頃にはここへ来られる都合だが、こんな訳ならば、云うてやらねばよかったにと腹に思いながら、とにかく座蒲団へ胡坐《あぐら》をかいて見た。気のせいかいやに湿りぽく腰の落つきが悪い。予の神経はとかく一種の方面に過敏に働く。厄介に思われてるんじゃないかしら、何だか去年や其前年来た時のようではない。どうしたって来たから仕方なしという待遇としか思われない。来ねばよかったな、こりゃ飛《とん》だ目に遭ったもんだ。予は思わず歎息《たんそく》が出た。
 岡村もおかしいじゃないか、訪問するからと云うてやった時彼は懇《ねんごろ》に返事をよこして、楽しんで待ってる。君の好きな古器物でも席に飾って待つべしとまで云うてよこしながら、親父さんだって去年はあんなに親切らしく云いながら、百里遠来の友じゃないか。厄介というても一夜か二夜の宿泊に過ぎんのだ。どうも解らんな。それにしても家の人達はどうしたんだろう。親父さん、お母さん、それからお繁《しげ》さん、もう寝たのかしら。お繁さんはきっと家に居ないに違いない。お繁さんが居れば、まさかこんなにおれに厭な思いはさせまい。そうだきっとお繁さんが居ないに違いない。
 予は洋燈を相手に、八畳の座敷に一人つくねんとしてまとまった考えがあるでもなく、淋しいような、気苦しいような、又|口惜《くや》しいような心持に気が沈む。馬鹿々々しく頭が腐抜けになったように、吾れ知らず「こんな所へくることよせばよかったなア」と又|独言《ひとりご》ちた。そんな事で、却《かえっ》て岡村はどうしたろうとも思わないでいる所へ、蚊帳《かや》の釣手の鐶《かん》をちゃりちゃり音をさせ、岡村は細君を先きにして夜の物を運んで来た。予は身を起して之《これ》を戸口に迎え、
「夜更にとんだ御厄介ですなア。君一向蚊は居らん様じゃないか。東京から見るとここは余程涼しいなア」
「ウン今夜は少し涼しい。これでも蚊帳なしという訳にはいかんよ。戸を締めると出るからな」
 細君は帰って終う。岡村が蚊帳を釣ってくれる。予は自ら蒲団を延べた。二人は蚊帳の外で、暫く東京なる旧友の噂《うわさ》をする、それも一通りの消息を語るに過ぎなかった。「君疲れたろう、寝《やす》んでくれ給え」岡村はそういって、宿屋の帳附けが旅客の姓名を宿帳へ記入し、跡でお愛想に少許り世間話をして立去るような調子に去って終った。
 予は彼が後姿を見送って、彼が人間としての変化を今更の如くに気づいた。若い時代の情熱などいうもの今の彼には全く無いのだ。旧友の名は覚えて居っても、旧友としての感情は恐らく彼には消えて居よう。手っとり早く云えば、彼は全く書生気質が抜け尽して居るのだ。普通な人間の親父になって居たのだ。
 やれやれそうであった、旧友として訪問したのも間違っていた。厄介に思われて腹を立てたも考えがなかった。予はこう思うて胸のとどこおりが一切解けて終った。同時に旧友なる彼が野心なき幸福を悦んだ。
 欲を云えば際限がない。誰にも彼にも非常人的精進行為を続けて行けと望むは無理である。子を作り、財を貯え、安逸なる一町民となるも、また人生の理想であると見られぬことはない。普通な人間の親父なる彼が境涯を哀れに思うなどは、出過ぎた料簡《りょうけん》じゃあるまいか。まずまず寝ることだと、予は雨戸を閉めようとして、外の空気の爽《さわや》かさを感じ、又暫く戸口に立った。
 風は和《な》いだ。曇っては居るが月が上ったと見え、雲がほんのり白らんで、朧気《おぼろげ》に庭の様子が判る。狭い庭で軒に迫る木立の匂い、苔《こけ》の匂い、予は現実を忘るるばかりに、よくは見えない庭を見るとはなしに見入った。
 北海の波の音、絶えず物の崩るる様な響、遠く家を離れてるという感情が突如として胸に湧《わ》く。母屋の方では咳《せき》一つするものもない。世間一体も寂然と眠に入った。予は何分寝ようという気にならない。空腹なる人の未だ食事をとり得ない時の如く、痛く物足らぬ心の弱りに落ちつくことが出来ぬのである。
 元気のない哀れな車夫が思い出される。此家の門を潜り入った時の寂しさが思い出される。それから予に不満を与えた岡村の仕振りが、一々胸に呼び返される。
 お繁さんはどうしたかしら、どうも今居ないらしい。岡村は妹の事に就て未だ何事もおれには語らない。お繁さんは無事でしょうなと、聞きたくてならないのを遂に聞かずに居った予は、一人考えに耽《ふけ》って愈《いよいよ》其物足らぬ思いに堪えない。
 新潟を出る時、僅かな事で二時間汽車の乗後れをしてから、柏崎へ降りても只淋しい思いにのみ襲われ、そうして此家に著いてからも、一として心の満足を得たことはない。其多くの不満足の中に、最も大なる不満足は、此家にお繁さんの声を聞かなかった事である。あアそうだ外の事は一切不満足でも、只同情ある殊に予を解してくれたお繁さんに逢えたら、こんな気苦しい厭な思いに悶々《もんもん》しやしないに極《きま》ってる。いやたとえ一晩でも宿《と》めて貰って、腹の中とは云え悪くいうは気が咎《とが》める、もうつまらん事は考えぬ事と戸を締めた。
 洋燈を片寄せようとして、不図《ふと》床を見ると紙本半切《しほんはんせつ》の水墨山水、高久靄※[#「※」は「涯−さんずい」、第3水準1−14−82、82−15]《たかくあいがい》で無論真筆紛れない。夜目ながら墨色深潤大いに気に入った。此気分のよいところで早速枕に就くこととする。
 強いて頭を空虚に、眼を閉じてもなかなか眠れない、地に響くような波の音が、物を考えまいとするだけ猶《なお》強く聞える。音から聯想《れんそう》して白い波、蒼《あお》い波を思い浮べると、もう番神堂が目に浮んでくる。去年は今少し後であった。秋の初め、そうだ八月の下旬、浜菊の咲いてる時であった。
 お繁さんは東京の某女学校を卒業して、帰った間もなくで、東京なつかしの燃えてる時であったから、自然東京の客たる予に親しみ易い。一日岡村とお繁さんと予と三人番神堂に遊んだ。お繁さんは十人並以上の美人ではないけれど、顔も姿もきりりとした関東式の女で、心意気も顔、姿の通りに快濶な爽かな人であった。こう考えてくるとお繁さんの活々《いきいき》とした風采《ふうさい》が明かに眼に浮ぶ。
 土地の名物|白絣《しろがすり》の上布に、お母さんのお古だという藍鼠《あいねずみ》の緞子《どんす》の帯は大へん似合っていた。西日をよけた番神堂の裏に丁度腰掛茶屋に外の人も居ず、三人は緩《ゆっく》り腰を掛けて海を眺めた。風が変ってか海が晴れてくる。佐渡が島が鮮かに見えてきた。佐渡が見えると海全面の景色が皆活きてくる。白帆が三つ東に向って行く。動かない漁舟《いさりぶね》、漕《こ》ぐ手も見ゆる帰り舟、それらが皆活気を帯びてきた。山の眺めはとにかく、海の景色は晴れんけりゃ駄目ですなアなどと話合う。話はいつか東京話になる。お繁の奴は東京の話というと元気が別だ。僕等もう東京などちっとも恋しくない。兄がそういえばお繁さんは、兄さんはそれだからいけないわ。今の若さで東京が恋しくないのは、男の癖に因循な証拠ですよ。生意気いうようだけど、柏崎に居ったって東京を忘れられては困るわね矢代さん。そうですとも僕は令妹の御考えに大賛成だ。
 こんな調子で余は岡村に、君の資格を以《もっ》てして今から退隠的態度をとるは、余りに勇気に乏しく、資格ある人士の義務から考えても、自家将来の幸福を求むる点から考えても、決して其道でないと説いた。岡村は冷かに笑って、君の云うことは尤《もっと》もだけれど、僕は別に考えがあるという。兄さんの考えというのは怪しいとお繁さんが笑う。妹さんの云う通りだ、東京がいやというは活動を恐れるのだ。活動を恐れるのは向上心求欲心の欠乏に外ならぬ。おれはえらい者にならんでもよいと云うのが間違っている。えらい者になる気が少しもなくても、人間には向上心求欲心が必要なのだ。人生の幸福という点よりそれが必要なのだ。向上心の弱い人は、生命を何物よりも重んずることになる。生命を極端に重んずるから、死の悲哀が極度に己れを苦しめる。だから向上心の弱い人には幸福はないということになる。宗教の問題も解決はそこに帰するのであろう、朝《あした》に道を聞いて夕ベに死すとも可なりとは、よく其精神を説明して居るではないか。
 岡村は欠《あく》びを噛《か》みしめて、いや有がとう、よく解った。お繁さんは兄の冷然たる顔色に落胆した風で、兄さんは結婚してからもう駄目よと叫んだ。岡村は何《な》に生意気なことをと目に角立てる。予は突然大笑して其いざこざを消した。そうして話を他へ転じた。お繁さんは本意なさそうにもう帰りましょうと云い出して帰る。予はお繁さんと岡村とあべこべなら面白いがな、惜しい事じゃと考えたのであった。
 予は寝られないままに、当時の記憶を一々頭から呼び起して考える。其《それ》を思うとお繁さんの居ない今日、岡村に薄遇されたのに少しも無理はない。予も腹のどん底を白状すると、お繁さんから今年一月の年賀状の次手《ついで》に、今年の夏も是非柏崎へお越しを願いたい。今一度お目に掛って信仰上のお話など伺いたく云々《うんぬん》とあったに動かされてきたと云ってもよい位だ。其に来て見れば、お繁さんが居ないのだから……。お繁さんは結婚したのだろう、どんな人と結婚したか。お繁さんに不足のない様な人は無造作にはあるまい。岡村に一つ聞いて見ようか、いや聞くまい、明日は早々お暇《いとま》としよう……。
 いつしか疲れを覚えてとろとろとしたと思うと、さすがに田舎だ、町ながら暁を告る鶏の声がそちこちに聞える。あ鶏が鳴くわいと思ったと思うと、其のままぐっすり寝入って、眼の覚めた時は、九時を過ぎている。朝日が母屋の上からさしていて、雨戸を開けたらかっと眼のくらむ程|明《あかる》かった。
 これから後のことを書くのは、予は不快に堪えない。しかし書かねば此文章のまとまりがつかぬ、いやでも書かねばならない。予は自分で雨戸をくり、自分で寝具を片づけ、ぼんやり障子の蔭《かげ》に坐して庭を眺めていた。岡村は母屋の縁先に手を挙げたり足を動かしたりして運動をやって居る。小女が手水《ちょうず》を持ってきてくれた。岡村は運動も止《や》めて家の者と話をして居るが、予の方へ出てくる様子もない。勿論《もちろん》茶も出さない。お繁さんの居ない事はもはや疑うべき
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