居る苦痛を脱したく思うのだが、今日昼前に渋川がくるかも知れないと思うままに、今暫くと思いながら、心にもない事を云ってる。こんな時に画幅など見たって何の興味があろう。岡村が持って来た清朝《しんちょう》人の画を三幅程見たがつまらぬものばかりであった、頭から悪口も云えないで見ると、これも苦痛の一つで、見せろなど云わねばよかったと後悔する。何もかも口と心と違った行動をとらねばならぬ苦しさ、予は僅かに虚偽の淵《ふち》から脱ける一策を思いつき、直江津なる杉野の所へ今日行くという電報を打つ為に外出した。帰ってくると渋川が来て居るという。予は内廊下を縁に出ると、驚いた。挨拶にも見えないから、風でもひいてるのかと思うていた岡村の親父は、其所《そこ》の小座敷で人と碁を打って居る。予はまさかに碁を打ってる人に挨拶も出来ない。しかしどうしても其の前を通らねばならない。止《や》むを得ず黙って通ったが、生れて覚えのない苦痛を感じた。軽侮するつもりではないかも知れねど、深い不快の念は禁じ得なかった。
 予は渋川に逢うや否や、直ぐに直江津に同行せよと勧め、渋川が呆《あき》れてるのを無理に同意さした。茶を持ってきた岡村
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