に時代おくれじゃないか」
「ハハハハこりゃ少し恐れ入るな。意外な所で、然も意外な小言を聞いたもんだ。岡村君、時代におくれるとか先んずるとか云って騒いでるのは、自覚も定見もない青臭い手合の云うことだよ」
「青臭いか知らんが、新しい本少しなり読んでると、粽の趣味なんか解らないぜ」
「そうだ、智識じゃ趣味は解らんのだから、新しい本を読んだとて粽の趣味が解らんのは当り前さ」
 岡村は厭《いや》な冷《ひやや》かな笑いをして予を正面に見たが、鈍い彼が目は再び茶ぶだいの上に落ちてる。
「いや御馳走になって悪口いうなどは、ちと乱暴過ぎるかな。アハハハ」
「折角でもないが、君に取って置いたんだから、褒めて食ってくれれば満足だ。沢山あるからそうよろしけば、盛にやってくれ給え」
 少し力を入れて話をすると、今の岡村は在京当時の岡村ではない。話に熱がなく力がない。予も思わず岡村の顔を見て、其気張りのないのに同情した。岡村は又出し抜けに、
「君達の様に文芸に遊ぶの人が、時代おくれな考えを持っていてはいけないじゃないか」
 鸚鵡《おうむ》が人のいうことを真似るように、こんな事をいうようでは、岡村も愈《いよいよ》駄目だなと、予は腹の中で考えながら、
「こりゃむずかしくなってきた。君そういう事を云うのは一寸《ちょっと》解ったようでいて、実は一向に解って居らん人の云うことだよ。失敬だが君は西洋の真似、即西洋文芸の受売するような事を、今の時代精神と思ってるのじゃないか。それじゃあ君それは日本人の時代でもなければ精神でもないよ。吾々が時代の人間になるのではない、吾々即時代なのだ。吾々以外に時代など云うものがあってたまるものか。吾々の精神、吾々の趣味、それが即時代の精神、時代の趣味だよ。
 いや決してえらい事を云うんじゃない。傲慢《ごうまん》で云うんじゃない。当り前の頭があって、相当に動いて居りさえすれば、君時代に後《おく》れるなどいうことがあるもんじゃないさ。露骨に云って終《しま》えば、時代におくれやしないかなどいう考えは、時代の中心から離れて居る人の考えに過ぎないのだろうよ」
 腹の奥底に燃えて居った不平が、吾れ知らず気※[#「※」は「焔」の78互換包摂字体のつくり+「炎」、第3水準1−87−64、78−5]《きえん》に風を添えるから、意外に云い過した。余りに無遠慮な予の詞《ことば》に、岡村は呆気《あっけ》にとられたらしい。黙って予の顔を見て居る。予も聊《いささ》かきまりが悪くなったから、御馳走して貰って悪口いうちゃ済まんなあ。失敬々々。こう云ってお茶を濁す。穏かな岡村も顔に冷かな苦笑を湛《たた》えて、相変らず元気で結構さ。僕の様に田舎に居っちゃ、君の所謂《いわゆる》時代の中心から離れて居るからな、何も解らんよ。とにかくここでは余り失敬だ。君こっちにしてくれ給え。こういって岡村は片手に洋燈を持って先きに立った。あアそうかと云いつつ、予も跡について起つ。敢て岡村を軽蔑《けいべつ》して云った訳でもないが、岡村にそう聞取られるかと気づいて大いに気の毒になった。それで予は俄《にわか》におとなしくなって跡からついてゆく。
 内廊下を突抜け、外の縁側を右へ曲り、行止りから左へ三尺|許《ばか》りの渡板を渡って、庭の片隅な離れの座敷へくる。深夜では何も判らんけれど、昨年一昨年と二度ともここへ置かれたのだから、来て見ると何となくなつかしい。平生は戸も明けずに置くのか、空気の蒸せた黴《かび》臭い例のにおいが室に満ちてる。
「下女が居ないからね、此の通り掃除もとどかないよ。実は君が来ることを杉野や渋川にも知らせたかったが、下女がいないからね」岡村は言い分けのように独《ひとり》で物を云いつつ、洋燈を床側に置いて、細君にやらせたらと思う様な事までやる。隣の間から箒《ほうき》を持出しばさばさと座敷の真中だけを掃いて座蒲団《ざぶとん》を出してくれた。そうして其のまま去って終った。
 予は新潟からここへくる二日前に、此の柏崎《かしわざき》在なる渋川の所へ手紙を出して置いた。云ってやった通りに渋川が来るならば、明日の十時頃にはここへ来られる都合だが、こんな訳ならば、云うてやらねばよかったにと腹に思いながら、とにかく座蒲団へ胡坐《あぐら》をかいて見た。気のせいかいやに湿りぽく腰の落つきが悪い。予の神経はとかく一種の方面に過敏に働く。厄介に思われてるんじゃないかしら、何だか去年や其前年来た時のようではない。どうしたって来たから仕方なしという待遇としか思われない。来ねばよかったな、こりゃ飛《とん》だ目に遭ったもんだ。予は思わず歎息《たんそく》が出た。
 岡村もおかしいじゃないか、訪問するからと云うてやった時彼は懇《ねんごろ》に返事をよこして、楽しんで待ってる。君の好きな古器物でも席に飾って待つべしとま
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