振りに困《こう》じ果ててか、慰めの言葉もいわず、いささか離れた話を話し合うてる。夜は二時となり、三時となり、静かな空気はすべてを支配した。自分はその間にひとり抜け出でては、二度も三度も池のまわりを見に行った。池の端に立っては、亡き人の今朝からの俤を繰り返し繰り返し思い浮かべて泣いた。
 おっちゃんにあっこ、おっちゃんにおんも、おっちゃんがえい、お児ちゃんのかんこ、お児ちゃんのかんこがえいと声がするかと思うほどに耳にある彼《か》の子《こ》の言葉を、口にいいさえすればすぐ涙は流れる。何べんも何べんもそれを繰り返しては涙を絞った。
 夜が明けそうと気づいて、驚いてまた枕辺《まくらべ》にかえった。妻もうとうとしてるようであった。ほかの七、八人ひとりも起きてるものは無かった。ただ燈明《とうみょう》の火と、線香の煙とが、深い眠りの中の動きであった。自分はこの静けさに少し気持ちがよかった。自分の好きなことをするに気がねがいらなくなったように思われたらしい。それで別にどういうことをするという考えがあるのでもなかった。
 夜が明けたらこの子はどうなるかと、恐る恐る考えた。それと等しく自分の心持ちもどうな
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