》に沈んだような気がした。今の自分はただただ自分を悔い、自分を痛め、自分を損じ苦しめるのが、いくらか自分を慰めるのである。今の自分には、哲学や宗教やはことごとく余裕のある人どもの慰み物としか思えない。自分もいままではどうかすると、哲学とか宗教とかいって、自分を欺き人を欺いたことが、しみじみ恥ずかしくてならなくなった。
真に愛するものを持たぬ人や、真に愛するものを死なしたことのない人に、どうして今の自分の悲痛がわかるものか、哲学も宗教も今の自分に何の慰藉をも与え得ないのは、とうていそれが第三者の言であるからであるまいか。
自分はもう泣くよりほかはない。自分の不注意を悔いて、自分の力なきをなげいて泣くよりほかはない。美しい死に顔も明日までは頼まれない。わが子を見守って泣くよりほかに術《すべ》はない。
妻もただ泣いたばかりで飽き足らなくなったか、部屋に帰って亡き人の姉々らと過ぎし記憶をたどって、悔しき当時の顛末《てんまつ》を語り合ってる。自分も思わず出てきてその仲間になった。
自分が今井とともに家を出てから間もないことであった。妻は気分が悪く休みおったが、子どもたちの姿がしばらく目を離れたので、台所に働きおる姉たちに、子どもたちはどうしていると問うた。姉はよどみなく、三人がいっしょにおもしろそうに遊んでいますとの答えに、妻は安心して休みおった。それから少し過ぎてお児がひとり上がってきて、母ちゃん乳《ちち》いというのに、また奈々子はと姉らに問えば、そこらに遊んでいるでしょう、秋ちゃんが遊びにつれていったんでしょうなどいうをとがめて、それではならない、たしかに見とどけなくてはなりませんと、妻は今は起き出でて、そこかここかとたずねさした。
隣へ見にやる、菓子屋へ見にやる、下水溝《げすいみぞ》の橋の下まで見たが、まさかに池とは思わないので、最後に池を見たらば……。
浮いておった。池に仰向けになって浮いていた。垣根の竹につかまって、池へはいらずに上げることができた。時間を考えると、初めいるかと問うた時たしかにいたものならば、その後の間はまことにわずかの間に相違ないが、まさか池にと思って早く池を見なかった。騒ぎだした時、すぐに池を見たら間に合ったかもしれなかった。そういう生まれ合わせだと皆はいうけれど、そうばかりは思われない。あぶないといっていながら、なぜ早く池を埋めてし
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