降つた。乳牛は露天に立つて雨たゝきにされて居る。同業者の消息も漸く判つて來た。龜戸の某は十六頭殺した。太平町の某は十四頭を、大島町の某は犢十頭を殺した、我一家の事に就いても種々の方面から考へて慘害の感じは深くなる許りである。
疲勞の度が過ぐれば却て熟睡を得られない。夜中幾度も目を覺す。僅な睡眠の中にも必ず夢を見る。夢は悉く雨の音水の騷である。最も懊惱に堪へないのは、實際雨が降つて音の聞ゆる夜である。我が財産の主腦である處の乳牛が、雨に濡れて露天に立つて居るのは考へるに堪へない苦みである。何とも譬へ樣のない情なさである。自分が雨中を奔走するのは敢て苦痛とも思はないが、牛が雨を浴みつゝ泥中に立つて居るのを見ては、言語に云へない切なさを感ずるのである。
若い衆は代り/\病氣をする。水中の物も何時まで捨てゝは置けず、自分の爲すべき事は無際限である。自分は日々朝鞋をはいて立ち夜まで脱ぐ遑がない。避難五日目に漸く牛の爲に雨掩が出來た。
眼前の迫害が無くなつて、前途を考ふることが多くなつた。貳拾頭が分泌した乳量は半減した上に更に減ぜんとして居る。一度減じた量は決して元に恢復せぬのが常である。乳量が恢復せないで姙孕の期を失へば、乳牛も乳牛の價格を保てないのである。損害の程度が稍※[#二の字点、面区点番号1−2−22、218−2]考量されて來ると、天災に反抗し奮鬪したのも極めて意義の少ない行動であつたと嘆ぜざるを得なくなる。
生活の革命………八人の兒女を兩肩に負ふてる自分が生活の革命を考ふる事となつては、胸中先づ悲慘の氣に閉塞されて終ふ。
殘餘の財を取纏めて、一家の生命を筆硯に托さうかと考へて見た。汝は安心して其の決行が出來るかと問ふて見る。自分の心は即時に安心が出來ぬと答へた。愈※[#二の字点、面区点番号1−2−22、218−7]餘儀ない場合に迫つて、さうするより外に道が無かつたならばどうするかと念を押して見た。自分の前途の慘憺たる有樣を想見するより外に何等の答を爲し得ない。
一人の若い衆は起きられないと云ふ。一人は遊びに出て歸つて來ないと云ふ。自分は蹶起して乳搾に手をかさねばならぬ。天氣がよければ家内等は、運び來つた濡れものゝ仕末に眼の廻る程忙しい。
一家浮沈の問題たる前途の考も措き難い目前の仕事に逐はれては其儘になる。見舞の手紙見舞の人、一々應答するのも一仕事である。水の家にも一日に數回見廻ることもある。夜は疲勞して坐に堪へなくなる。朝起きては、身の内の各部に疼痛倦怠を覺え、其の業に堪へ難き思ひがするものゝ、常よりも快美に進む食事を取りつゝ一度鞋を蹈みしめて起つならば、自分の四肢は凜として振動するのである。
肉體に勇氣が滿ちてくれば、前途を考へる悲觀の感念も何時しか屏息して、愉快に奮鬪が出來るのは妙である。八人の兒女があるといふ痛切な感念が、常に肉體を奮興せしめ、其苦痛を忘れしめるのか。
或は鎌倉武士以來の關東武士の蠻性が、今猶自分の骨髓に遺傳して然るものか。
破壞後の生活は、總ての事が混亂して居る。思慮も考察も混亂して居る。精神の一張一緩も固より混亂を免れない。
自分は一日大道を濶歩しつゝ、突然として思ひ浮んだ。自分の反抗的奮鬪の精力が、これだけ強堅であるならば、一切迷ふことはいらない。三人の若い者を一人減じ自分が二人だけの勞働をすれば、何の苦勞も心配もいらぬ事だ。今まで文藝などに遊んで居つた身で、これが果して出來るかと自問した。自分の心は無造作に出來ると明答した。文藝を三四年間放擲して終ふのは、聊かの狐疑も要せぬ。
肉體を安んじて精神を困めるのがよいか、肉體を困めて精神を安ずるのがよいか。かう考へて來て自分は愉快で溜らなくなつた。我知らず問題は解決したと獨語した。
五
水が減ずるに從つて、跡の始末もついて行く。運び殘した財物も少くないから、夜を守る考も起つた。物置の天井に一坪に足らぬ場所を發見して茲に蒲團を展べ、自分はそこに横たはつて見た。これならば夜を茲に寢られぬ事もないと思つたが、茲へ眠つて終へば少しも夜の守りにはならないと氣づいたから、夜は泊らぬことにしたけれど、水中の働きに疲れた體を横たへて休息するには都合がよかつた。
人は境遇に支配されるものであると云ふことだが、自分は僅に一身を入るゝに足る狹い所へ横臥して、不圖夢の樣な事を考へた。
其昔相許した二人が、一夜殊に情の高ぶるを覺えて殆ど眠られなかつた時、彼は嘆じて云ふ。かういふ風に互に心持よく圓滿に樂しいといふ事は、今後今一度と云つても出來ないかも知れない、いつそ二人が今夜眠つたまゝ死んで終つたら、是に上越す幸福はないであらう。
眞にそれに相違ない。此のまゝ苦もなく死ぬことが出來れば滿足であるけれど、神樣が我々にさう云ふ幸福を許してくれないかも知れない、と自分もしんから嘆息したのであつた。
當時は只一場の痴話として夢の如き記憶に殘つたのであるけれど、二十年後の今日それを極めて眞面目に思ひ出したのは如何なる譯か。
考へて見ると果して其夜の如き感情を繰返した事は無かつた。年一年と苦勞が多く、子供は續々と出來てくる。年中齷齪として歳月の廻るに支配されて居る外に何等の能事も無い。次々と來る小災害のふせぎ、人を弔ひ己を悲む消極的營みは年として絶ゆることは無い。水害又水害。さうして遂に今度の大水害にかうして苦鬪して居る。
二人が相擁して死を語つた以後二十年、實に何の意義も無いではないか。苦しむのが人生であるとは、どんな哲學宗教にも云ふては無からう。然かも實際の人生は苦んでるのが常であるとは如何なる譯か。
五十に近い身で、少年少女一夕の痴談を眞面目に回顧して居る今の境遇で、是をどう考へたらば、茲に幸福の光を發見することが出來るであらうか。此の自分の境遇には何所にも幸福の光が無いとすれば、一少女の痴談は大哲學であると云はねばならぬ。人間は苦むだけ苦まねば死ぬ事も出來ないのかと思ふのは考へて見るのも厭だ。
手傳《てつだい》の人々がいつのまにか來て下に働いて居つた。屋根裏から顏を出して先生と呼ぶのは、水害以來毎日手傳に來てくれる友人であつた。
[#下げて、地より1字あきで]明治43年11月『ホトヽギス』
[#下げて、地より1字あきで]署名 左千夫
底本:「左千夫全集 第三巻」岩波書店
1977(昭和52)年2月10日発行
初出:「ホトヽギス」発行所名
1910(明治43)年11月1日発行、第十四巻第二号
※底本に見る「塲」と「場」の混用は、ママとしました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:米田進
校正:松永正敏
ファイル作成:
2002年4月1日公開
2003年5月16日修正
青空文庫作成ファイル:
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