の二頭を牽出《ひきだ》す。彼ら無心の毛族《けもの》も何らか感ずるところあると見え、残る牛も出る牛もいっせいに声を限りと叫び出した。その騒々しさは又|自《おのず》から牽手《ひきて》の心を興奮させる。自分は二頭の牝牛《めうし》を引いて門を出た。腹部まで水に浸《ひた》されて引出された乳牛は、どうされると思うのか、右往左往と狂い廻る。もとより溝《どぶ》も道路も判らぬのである。たちまち一頭は溝に落ちてますます狂い出す。一頭はひた走りに先に進む。自分は二頭の手綱《たづな》を採って、ほとんど制馭《せいぎょ》の道を失った。そうして自分も乳牛に引かるる勢いに駆られて溝へはまった。水を全身に浴みてしまった。若い者共も二頭三頭と次々引出して来る。
人畜《じんちく》を挙げて避難する場合に臨んでも、なお濡るるを恐れておった卑怯者も、一度溝にはまって全身水に漬《つか》っては戦士が傷《きず》ついて血を見たにも等しいものか、ここに始めて精神の興奮絶頂に達し猛然たる勇気は四肢《しし》の節々《ふしぶし》に振動した。二頭の乳牛を両腕の下《もと》に引据え、奔流を蹴破って目的地に進んだ。かくのごとく二回三回数時間の後全く乳牛
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