安んずべからざるところにも、強いて安居《あんご》せんとするものである。
二
大雨《たいう》が晴れてから二日目の午後五時頃であった。世間は恐怖の色調《しきちょう》をおびた騒ぎをもって満たされた。平生《へいぜい》聞ゆるところの都会的音響はほとんど耳に入らないで、うかとしていれば聞き取ることのできない、物の底深くに、力強い騒ぎを聞くような、人を不安に引き入れねばやまないような、深酷な騒ぎがそこら一帯の空気を振蕩《しんとう》して起った。
天神川も溢《あふ》れ、竪川《たてかわ》も溢れ、横川も溢れ出したのである。平和は根柢《こんてい》から破れて、戦闘は開始したのだ。もはや恐怖も遅疑も無い。進むべきところに進む外《ほか》、何を顧《かえり》みる余地も無くなった。家族には近い知人の二階屋に避難すべきを命じ置き、自分は若い者三人を叱《しっ》して乳牛の避難にかかった。かねてここと見定《みさだ》めて置いた高架鉄道の線路に添うた高地《こうち》に向って牛を引き出す手筈である。水深はなお腰に達しないくらいであるから、あえて困難というほどではない。
自分はまず黒白斑《くろしろぶち》の牛と赤牛との二頭を牽出《ひきだ》す。彼ら無心の毛族《けもの》も何らか感ずるところあると見え、残る牛も出る牛もいっせいに声を限りと叫び出した。その騒々しさは又|自《おのず》から牽手《ひきて》の心を興奮させる。自分は二頭の牝牛《めうし》を引いて門を出た。腹部まで水に浸《ひた》されて引出された乳牛は、どうされると思うのか、右往左往と狂い廻る。もとより溝《どぶ》も道路も判らぬのである。たちまち一頭は溝に落ちてますます狂い出す。一頭はひた走りに先に進む。自分は二頭の手綱《たづな》を採って、ほとんど制馭《せいぎょ》の道を失った。そうして自分も乳牛に引かるる勢いに駆られて溝へはまった。水を全身に浴みてしまった。若い者共も二頭三頭と次々引出して来る。
人畜《じんちく》を挙げて避難する場合に臨んでも、なお濡るるを恐れておった卑怯者も、一度溝にはまって全身水に漬《つか》っては戦士が傷《きず》ついて血を見たにも等しいものか、ここに始めて精神の興奮絶頂に達し猛然たる勇気は四肢《しし》の節々《ふしぶし》に振動した。二頭の乳牛を両腕の下《もと》に引据え、奔流を蹴破って目的地に進んだ。かくのごとく二回三回数時間の後全く乳牛
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