、大島町の某は犢《こうし》十頭を殺した。わが一家の事に就いても種々の方面から考えて惨害の感じは深くなるばかりである。
疲労の度が過ぐればかえって熟睡を得られない。夜中幾度も目を覚す。僅かな睡眠の中にも必ず夢を見る。夢はことごとく雨の音水の騒ぎである。最も懊悩に堪えないのは、実際雨が降って音の聞ゆる夜である。わが財産の主脳であるところの乳牛が、雨に濡れて露天に立っているのは考えるに堪えない苦しみである。何ともたとえようのない情《なさけ》なさである。自分が雨中を奔走するのはあえて苦痛とは思わないが、牛が雨を浴みつつ泥中に立っているのを見ては、言語にいえない切《せつ》なさを感ずるのである。
若い衆は代り代り病気をする。水中の物もいつまで捨てては置けず、自分の為すべき事は無際限である。自分は日々朝|草鞋《わらじ》をはいて立ち、夜まで脱ぐ遑《いとま》がない。避難五日目にようやく牛の為に雨掩いができた。
眼前の迫害が無くなって、前途を考うることが多くなった。二十頭が分泌した乳量は半減した上に更に減ぜんとしている。一度減じた量は決して元に恢復せぬのが常である。乳量が恢復せないで、妊孕《にんよう》の期を失えば、乳牛も乳牛の価格を保てないのである。損害の程度がやや考量されて来ると、天災に反抗し奮闘したのも極めて意義の少ない行動であったと嘆ぜざるを得なくなる。
生活の革命……八人の児女《じじょ》を両肩に負うてる自分の生活の革命を考うる事となっては、胸中まず悲惨の気に閉塞されてしまう。
残余の財を取纏めて、一家の生命を筆硯に托そうかと考えて見た。汝《なんじ》は安心してその決行ができるかと問うて見る。自分の心は即時に安心ができぬと答えた。いよいよ余儀ない場合に迫って、そうするより外に道が無かったならばどうするかと念を押して見た。自分の前途の惨憺たる有様を想見するより外《ほか》に何らの答を為し得ない。
一人の若い衆は起きられないという。一人は遊びに出て帰って来ないという。自分は蹶起《けっき》して乳搾《ちちしぼ》りに手をかさねばならぬ。天気がよければ家内らは運び来った濡れものの仕末に眼の廻るほど忙しい。
家浮沈の問題たる前途の考えも、措《お》き難い目前の仕事に逐《お》われてはそのままになる。見舞の手紙見舞の人、一々応答するのも一仕事である。水の家にも一日に数回見廻ることもある。夜
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