だ。水量が盛んで人間の騒ぎも壓せられてるものか、割合に世間は静かだ。まだ宵の口と思うのに、水の音と牛の鳴く声の外には、あまり人の騒ぎも聞えない。寥々《りょうりょう》として寒そうな水が漲っている。助け舟を呼んだ人は助けられたかいなかも判らぬ。鉄橋を引返してくると、牛の声は幽《かす》かになった。壮快な水の音がほとんど夜を支配して鳴ってる。自分は眼前の問題にとらわれてわれ知らず時間を費やした。来て見れば乳牛の近くに若者たちもいず、わが乳牛は多くは安臥して食《は》み返しをやっておった。
何事をするも明日の事、今夜はこれでと思いながら、主なき家の有様も一見したく、自分は再び猛然水に投じた。道路よりも少しく低いわが家の門内に入ると足が地につかない。自分は泳ぐ気味にして台所の軒へ進み寄った。
幸《さいわい》に家族の者が逃げる時に消し忘れたものらしく、ランプが点《とも》して釣り下げてあった。天井高く釣下げたランプの尻にほとんど水がついておった。床《ゆか》の上に昇って水は乳まであった。醤油樽《しょうゆだる》、炭俵、下駄箱、上げ板、薪、雑多な木屑《きくず》等有ると有るものが浮いている。どろりとした汚い悪水《おすい》が、身動きもせず、ひしひしと家一ぱいに這入っている。自分はなお一渡り奥の方まで一見しようと、ランプに手を掛けたら、どうかした拍子に火は消えてしまった。後は闇々黒々、身を動かせば雑多な浮流物が体に触れるばかりである。それでも自分は手探り足探りに奥まで進み入った。浮いてる物は胸にあたる、顔にさわる。畳が浮いてる、箪笥《たんす》が浮いてる、夜具類も浮いてる。それぞれの用意も想像以外の水でことごとく無駄に帰したのである。
自分はこの全滅的荒廃の跡を見て何ら悔恨の念も無く不思議と平然たるものであった。自分の家という感じがなく自分の物という感じも無い。むしろ自然の暴力が、いかにもきびきびと残酷に、物を破り人を苦しめた事を痛快に感じた。やがて自分は路傍の人と別れるように、その荒廃の跡を見捨てて去った。水を恐れて連夜眠れなかった自分と、今の平気な自分と、何の為にしかるかを考えもしなかった。
家族の逃げて行った二階は七畳ばかりの一室であった。その家の人々の外に他よりも四、五人逃げて来ておった。七畳の室に二十余人、その間に幼いもの三人ばかりを寝せてしまえば、他の人々はただ膝と膝を突合せて
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