で、人の婿になるちは大の不徳義だ、不都合きわまった話だ。婿をとる側になってみたまえ、こんなことされて堪《たま》るもんか」
 こう言うのは深田|贔屓《びいき》の連中だ。
「そうでないさ、省作だって婿になると決心した時には、おとよの事はあきらめていたにきまってるさ。第一省作が婿になる時にゃ、おとよはまだ清六の所にいたじゃないか。深田も懇望してもらった以上は、そんな過ぎ去った噂なんぞに心動かさないで大事にしてやれば、省作は決して深田の家を去るのではない。だからありゃ深田の方が悪いのだ。何も省作に不徳義なこたない」
 これは小手|贔屓《びいき》の言うところだ。
「えいも悪いもない、やっぱり縁のないのだよ。省作だって、身上《しんしょう》はよし、おつねさんは憎《にく》くなかったのだから、いたくないこともなかったろうし、向うでも懇望したくらいだからもとより置きたいにきまってる、それが置けなくなりいられなくなったのだから、縁がないのさ」
 こんなこというは婆と呼ばれる酒屋の内儀《おかみ》だ。
「みんな省さんが悪いんさ、ほんとに省さんは憎いわ。省さんはあんなえい人だからおとよさんがどうしてもあきらめられない、おとよさんがあきらめねけりゃ、省さんは深田にいられやしない。深田のおッ母さんはたいへんおとよさんを恨んでるっさ。おつねさんもね、実は省さんを置きたかったんだって、それだから、省さんが出たあとで三日寝ていたっち話だ。わたしゃほんとにおつねさんがかわいそうだわ、省さんはほんとに憎いや」
 これは女側から出た声だ。
「なんだいべらぼう、ほめるんやらくさすんやら、お気の毒さま、手がとどかないや。省さんほんとに憎いや、もねいもんだ」
「そんなに言うない。おはまさんなんかかわいそうな所があるんだアな、同病|相憐《あいあわれ》むというんじゃねいか、ハヽヽヽヽヽ」
「あん畜生、ほんとにぶちのめしてやりたいな」
「だれを」
「あの野郎をさ」
「あの野郎じゃわからねいや」
「ばかに下等になってきたあな、よせよせ」
 おはまがいるから、悪口もこのくらいで済んだ。おはまでもいなかったら、なかなかこのくらいの悪口では済まない。省作の悪口を言うとおはまに憎がられる、おはまには悪くおもわれたくないてあいばかりだから、話は下火になった。政公の気焔《きえん》が最後に振《ふる》っている。
「おらも婿だが、昔から譬《たとえ》にいう通り、婿ちもんはいやなもんよ。それに省作君などはおとよさんという人があるんだもの、清公に聞かれちゃ悪いが、百俵付けがなんだい、深田に田地が百俵付けあったってそれがなんだ。婿一人の小遣《こづか》い銭にできやしまいし、おつねさんに百俵付けを括《くく》りつけたって、体《からだ》一つのおとよさんと比べて、とても天秤《てんびん》にはならないや。一万円がほしいか、おとよさんがほしいかといや、おいら一秒間も考えないで……」
「おとよさんほしいというか、嬶《かかあ》にいいつけてやるど、やあいやあい」
 で話はおしまいになる。おはまが帰って一々省作に話して聞かせる。そんな次第だから省作は奥へ引っ込んでて、夜でなけりゃ外へ出ない。隣の人たちにもどうも工合が悪い。おはまばかり以前にも増して一生懸命に同情しているけれど、向うが身上《しんしょう》がえいというので、仕度にも婚礼にも少なからぬ費用を投じたにかかわらず、四月《よつき》といられないで出て来た。それも身から出た錆《さび》というような始末だから一層兄夫婦に対して肩身が狭い。自分ばかりでなく母までが肩身狭がっている。平生《へいぜい》ごく人のよい省作のことゆえ、兄夫婦もそれほどつらく当たるわけではないが、省作自ら気が引けて小さくなっている。のっそり坊も、もうのっそりしていられない。省作もようやく人生の苦労ということを知りそめた。
 深田の方でも娘が意外の未練に引かされて、今一度親類の者を迎えにやろうかとの評議があったけれど、女親なる人がとても駄目《だめ》だからと言い切って、話はいよいよ離別と決定してしまった。
 上総《かずさ》は春が早い。人の見る所にも見ない所にも梅は盛りである。菜の花も咲きかけ、麦の青みも繁《しげ》りかけてきた、この頃の天気続き、毎日|長閑《のどか》な日和《ひより》である。森をもって分《わか》つ村々、色をもって分つ田園、何もかもほんのり立ち渡る霞《かすみ》につつまれて、ことごとく春という一つの感じに統一されてる。
 遥《はる》かに聞ゆる九十九里《くじゅうくり》の波の音、夜から昼から間断なく、どうどうどうどうと穏やかな響きを霞の底に伝えている。九十九里の波はいつでも鳴ってる、ただ春の響きが人を動かす。九十九里付近一帯の村落に生《お》い立ったものは、この波の音を直《ただ》ちに春の音と感じている。秋の声ということばがあるが、九十九里一帯の地には秋の声はなくてただ春の音がある。
 人の心を穏やかに穏やかにと間断なく打ちなだめているかと思われるは、この九十九里の春の音である。幾千年の昔からこの春の音で打ちなだめられてきた上総《かずさ》下総《しもうさ》の人には、ほとんど沈痛な性質を欠いている。秋の声を知らない人に沈痛な趣味のありようがない。秋の声は知らないでただ春の音ばかり知ってる両総の人の粋は温良の二字によって説明される。
 省作はその温良な青年である。どうしたって省作を憎むのは憎む方が悪いとしか思われぬ。省作は到底春の人である。慚愧《ざんき》不安の境涯《きょうがい》にあってもなお悠々《ゆうゆう》迫らぬ趣がある。省作は泣いても春雨《はるさめ》の曇りであって雪気《ゆきげ》の時雨《しぐれ》ではない。
 いやなことを言われて深田の家を出る時は、なんのという気で大手《おおで》を振って帰ってきた省作も、家に来てみると、家の人たちからはお前がよくないとばかり言われ、世間では意外に自分を冷笑し、自分がよくないから深田を追い出されたように噂《うわさ》をする。いつのまか自分でも妙に失態をやったような気になった。臆病《おくびょう》に慚愧心《ざんきしん》が起こって、世間へ出るのが厭《いや》で堪《たま》らぬ。省作の胸中は失意も憂愁もないのだけれど、周囲からやみ雲にそれがあるように取り扱われて、何となし世間と隔てられてしまった。それでわれ知らず日蔭者《ひかげもの》のように、七、八日奥座敷を出ずにいる。家の人たちも省作の心は判然《はっきり》とはわからないが、もう働いたらよかろうともえ言わないで好きにさしておく。
 この間におはまは小さな胸に苦労をしながら、おとよ方《かた》に往復して二人《ふたり》の消息を取り次いだ。省作は長い長い二回の手紙を読み、切実でそうして明快なおとよが心線に触れたのである。
 萎《しお》れた草花が水を吸い上げて生気を得たごとく、省作は新たなる血潮が全身にみなぎるを覚えて、命が確実になった心持ちがするのである。
「失態も糸瓜《へちま》もない。世間の奴《やつ》らが何と言ったって……二人の幸福は二人で作る、二人の幸福は二人で作る、他人《ひと》の世話にはならない」
 こう独言《ひとりごと》を言いつつ省作は感に堪《た》えなくなって、起《た》って座敷じゅうをうろうろ歩きをするのである。省作はもう腹の中の一切のとどこおりがとれてしまって、胸はちゃんと定《き》まった。胸が定まれば元気はおのずから動く。
 翌朝省作は起こされずに早く起きた。
「おッ母さん仕事着は」
とどなる。
「ウム省作起きたか」
「あ、おッ母さん、もう働くよ」
「ウムどうぞま、そうしてくろや。お前に浮かぬ顔して引っ込んでいられると、おらな寿命が縮まるようだったわ」
 中《なか》しきりの鏡戸《かがみど》に、ずんずん足音響かせてはや仕事着の兄がやってきた。
「ウン起きたか省作、えい加減にして土竜《もぐら》の芸当はやめろい。今日はな、種井《たねい》を浚《さら》うから手伝え。くよくよするない、男らしくもねい」
 兄のことばの終わらぬうちに省作は素足で庭へ飛び降りた。
 彼岸がくれば籾種《もみだね》を種井の池に浸す。種浸す前に必ず種井の水を汲《く》みほして掃除《そうじ》をせねばならぬ。これはほとんどこの地の習慣で、一つの年中行事になってる。二月に入ればよい日を見て種井浚いをやる。その夜は茶飯《ちゃめし》ぐらいこしらえて酒の一升も買うときまってる。
 今日は珍しくおはま満蔵と兄と四人|手揃《てぞろ》いで働いたから、家じゅう愉快に働いた。この晩兄はいつもより酒を過ごしてる。
「省作、今夜はお前も一杯やれい。おらこれでもお前に同情してるど、ウム人間はな、どんな事があっても元気をおとしちゃいけない、なんでも人間の事は元気一つのもんだよ」
「兄《にい》さん、これでわたしだって元気があります」
「アハヽヽヽヽヽそうか、よし一杯つげ」
 省作も今日は例の穏やかな顔に活気がみちてるのだ。二つ三つ兄と杯を交換して、曇りのない笑いを湛《たた》えている。兄は省作の顔を見つめていたが、突然、
「省作、お前はな、おとよさんと一緒になると決心してしまえ」
 省作も兄の口からこの意外な言を聞いて、ちょっと返答に窮した。兄は語を進めて、
「こう言い出すからにゃおれも骨を折るつもりだど、ウン世間がやかましい……そんな事かまうもんか。おッ母さんもおきつも大反対だがな、隣の前が悪いとか、深田に対してはずかしいとかいうが、おれが思うにゃそれは足もとの遠慮というものだ。な、お前がこれから深田よりさらに財産のある所へ養子にいったところで、それだけでお前の仕合せを保証することはできないだろう。よせよせ、婿にゆくなんどいうばかな考えはよせ。はま公、今一本持ってこ」
 おはまは笑いながら、徳利を持って出た帰りしなに、そっと省作の肩をつねった。
「まあよく考えてみろ、おとよさんは少しぐらいの財産に替えられる女ではないど。そうだ、無論おとよさんの料簡《りょうけん》を聞いてみてからの事だ。今夜はこれで止《や》めておく。とくと考えておけ」
 兄は見かけによらず解《わか》った人であった。まだ若年な省作が、世間的に失敗した今の境遇を、兄は深く憐《あわれ》んだのである。省作の精神を大抵推知しながら先を越して弟に元気をつけたのである。省作は腹の中で、しみじみ兄の好意を謝した。省作は今が今まで、これほど解ってる人で、きっぱりとした決断力のある人とは思わなかった。省作はもう嬉《うれ》しくて堪《たま》らない。だれが何と言ってもと心のうちで覚悟を定《き》めていた所へ、兄からわが思いのとおりの事を言われたのだから嬉しいのがあたりまえだ。省作はあらん限りの力を出して平気を装うていたけれど、それでもおはまには妙な笑いをくれられた。省作は昨日の手紙によって今夜九時にはおとよの家の裏までゆく約束があるのである。

      三

 女の念力などいうこと、昔よりいってる事であるが、そういうことも全くないものとはいわれんようである。
 おとよは省作と自分と二人《ふたり》の境遇を、つくづくと考えた上に所詮《しょせん》余儀ないものと諦《あきら》め、省作を手離して深田へ養子にやり、いよいよ別れという時には、省作の手に涙をふりそそいで、
「こうして諦めて別れた以上は、わたしのことは思い棄《す》て、どうぞおつねさんと夫婦仲よく末長く添い遂げてください。わたしは清六の家を去ってから、どういう分別になるか、それはその時に申し上げましょう。ああそうでない、それを申し上げる必要はないでしょう、別れてしまった以上は」
 ことばには立派に言って別れたものの、それは神ならぬ人間の本音《ほんね》ではない。余儀ない事情に迫られ、無理に言わせられた表面の口《くち》の端《は》に過ぎないのだ。
 おとよは独身《ひとりみ》になって、省作は妻ができた。諦めるとことばには言うても、ことばのとおりに心はならない。ならないのがあたりまえである。浮気の恋ならば知らぬこと、真底《しんそこ》から思いあった間柄が理屈で諦められるはずがない。たやすく諦めるくらいならば恋ではない。
 おとよは意志の強い人
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