た佐介を成東《なるとう》へ送りとどけた。
 省作は出立前十日ばかり大抵土屋の家に泊まった。おとよの父も一度省作に逢《あ》ってからは、大の省作好きになる。無論おとよも可愛《かわ》ゆくてならなくなった。あんまり変りようが烈《はげ》しいので家のものに笑われてるくらいだ。
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 省作は田植え前|蚕《かいこ》の盛りという故郷の夏をあとにして成東から汽車に乗る。土屋の方からは、おとよの父とおとよとが来る。小手の方からは省作の母が孫二人をつれ、おはまも風呂敷包《ふろしきづつ》みを持って送ってきた。おとよはもちろん千葉まで同行して送るつもりであったが、汽車が動き出すと、おはまはかねて切符を買っていたとみえしゃにむに乗り込んでしまった。
 汽車が日向《ひゅうが》駅を過ぎて、八街《やちまた》に着かんとする頃から、おはまは泣き出し、自分でも自分が抑《おさ》えられないさまに、あたり憚《はばか》らず泣くのである。これには省作もおとよもほとんど手に余してしまった。なぜそんなに泣くかといってみても、もとより答えられる次第のものではない。もっともおはまは、出立という前の夜に、省作の居間にはいってきて、一心こめた面持《おもも》ちに、
「省さんが東京へ行くならぜひわたしも一緒に東京へ連れていってください」
というのであった、省作は無造作に、
「ウムおれが身上《しんしょう》持つまで待て、身上持てばきっと連れていってやる」
 おはまはそのまま引き下がったけれど、どうもその時も泣いたようであった。おはまのそぶりについて省作もいくらか、気づいておったのだけれど、どうもしようのない事であるから、おとよにも話さず、そのままにしていたのだが、いよいよという今日になってこの悲劇を演じてしまった。
「あんまり人さまの前が悪いから、おはまさんどうぞ少し静かにしてください」
 強くおとよにいわれて、おはまは両手の袖《そで》を口に当てて強《し》いて声を出すまいとする。抑《おさ》えても抑え切れぬ悲痛の泣き音は、かすかなだけかえって悲しみが深い。省作はその不束《ふつつか》を咎《とが》むる思いより、不愍《ふびん》に思う心の方が強い。おとよの心には多少の疑念があるだけ、直ちにおはまに同情はしないものの、真に悲しいおはまの泣き音に動かされずにはいら
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