ょっとしたことにもすぐ君と僕との相違は出てくる。
君が歌を作り文《ぶん》を作るのは、君自身でもいうとおり、作らねばならない必要があって作るのではなく、いわば一種のもの好き一時の慰みであるのだ。君はもとより君の境遇からそれで結構《けっこう》である。いやしくも文芸にたずさわる以上、だれでもぜひ一所懸命になってこれに全精神を傾倒《けいとう》せねばだめであるとはいわない。人生上から文芸を軽くみて、心の向きしだいに興を呼んで、一時の娯楽のため、製作をこころみるという、君のようなやり方をあえて非難する[#「非難する」は底本では「非離する」]のではない。ただ自分がそうであるからとて、人もそうであると臆断《おくだん》するのがよくないと思う。
僕が歌を作り小説を書くのは、まったく動機が君と違うのだ。僕はけっして道楽する考えで、歌や小説をやるのではない。自己の生存上、どうでも歌と小説を作らねばならなく思うてやっているのだ。政治家にもなれず、事業家にもなれず、学者にもなれないとすれば、やや自分の天性に適した文芸にでも生きてゆく道を求めるのほかないではないか。それは娯楽も慰藉《いしゃ》もそれに伴うてること
前へ
次へ
全36ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
伊藤 左千夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング