ということを実行する。けれども友人のほうはあんがい平気だ。自分からは三度も訪問しても友人は一度も来ないようなことが多い。こうなると友人という情義があるのかないのかわからなくなってしまう。腹の底の奥深い所に、怨嗟《えんさ》の情が動いておっても口にいうべき力のないはかない怨《うら》みだ。交際上の隠れた一種の悲劇である。友人のほうでは決して友人に金を貸すものではないと後悔しているのじゃないかと思うてはいよいよたまらない。友人には掻《か》きちぎるほどそむきたくないが、友人はしだいに自分を離れる[#「離れる」は底本では「難れる」]。罪がことごとく自分にあるのだから、懊悩《おうのう》のやるせがないのだ。
 あぶない道を行く者は、じゅうぶんに足をふんばり背たけを伸ばして歩けないのが常だ。心をまげ精神を傷つけ一時を弥縫《びほう》した窮策は、ついに道徳上の罪悪を犯すにいたった。偽《いつわ》りをもって始まったことは、偽りをもって続く。どこまでも公明に帰ることはできない。どう考えても自分はりっぱな道徳上の罪人だ。人なかで高言のできない罪人だ。
 君の目から見たらば、さだめて気の毒にも見えよう、おかしくも見え
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