おもしろいよ」
「そいからあなた、十里四方もあった甲斐の海が原になっていました。それで富士川もできました。それから富士山のまわりところどころへ湖水がのこりました。お富士さまのあれで出口がふさがったもんだから、むかしの甲斐の海の水がのこったのでござります。ここの湖水はみんな、はいる水はあってもでる口はないのでござります。だからこの水は大むかしからの水で甲斐の海のままに変わらない水でござります。先生さまにこんなうそっこばなしを申しあげてすみませんが……」
「どうして、ほんとにおもしろかったよ。それがほんとの話だよ」
 老爺はまじめにかえって、
「もう鵜島がめえてきました。松が青くめいましょう。ごろうじろ、弁天《べんてん》さまのお屋根がすこしめいます。どうも霧が深うなってめいりました」
 高さ四、五|丈《じょう》も、周囲二町もあろうと見える瓠《ひさご》なりな小島の北岸へ舟をつけた。瓠の頭は東にむいている。そのでっぱなに巨大な松が七、八本、あるいは立ち、あるいは這うている。もちろん千年の色を誇っているのである。ほかはことごとく雑木《ぞうき》でいっせいに黄葉しているが、上のほう高いところに楓樹《ふうじゅ》があるらしい。木《こ》ずえの部分だけまっかに赤く見える。黄色い雲の一端に紅《くれない》をそそいだようである。
 松はとうていこの世のものではない。万葉集《まんようしゅう》に玉松《たままつ》という形容語があるが、真に玉松である。幹の赤い色は、てらてら光るのである。ひとかかえもある珊瑚《さんご》を見るようだ。珊瑚の幹をならべ、珊瑚の枝をかわしている上に、緑青《ろくしょう》をべたべた塗りつけたようにぼってりとした青葉をいただいている。老爺は予のために、楓樹にはいのぼって上端《じょうたん》にある色よい枝を折ってくれた。手にとれば手を染めそうな色である。
 湖《みずうみ》も山もしっとりとしずかに日が暮れて、うす青い夕炊きの煙が横雲のようにただようている。舟津の磯《いそ》の黒い大石の下へ予の舟は帰りついた。老爺も紅葉の枝を持って予とともにあがってくる。意中《いちゅう》の美人はねんごろに予を戸口にむかえて予の手のものを受けとる。見かけによらず如才《じょさい》ない老爺は紅葉を娘の前へだし、これごろうじろ、この紅葉の美しさ、お客さまがぜひお嬢さんへのおみやげにって、大《おお》首おって折ったのぞなどいう。まだ一度も笑顔《えがお》を見せなかった美人も、いまは花のごときえみをたたえて紅葉をよろこんだ。晩食には湖水でとれた鯉の洗いを馳走してくれ、美人の唇もむろん昼ほどは固くなく、予は愉快な夢を見たあとのような思いで陶然《とうぜん》として寝についた。



底本:「野菊の墓他六篇」新学社文庫、新学社
   1968(昭和43)年6月15日発行
   1982(昭和57)年6月1日重版
入力:大野晋
校正:小林繁雄
2006年7月18日作成
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