いほど、風邪を引かない。そして塩分の強い空気にぬれて、肺を新らしくし、縦横無尽に活躍してくると、いかなる人でも、その精神は子供か原始人のようになる。そしてよく疲れて一日や二日は夢のように過ぎてしまうものである。
 こうして私は、冬も温い南方の荒磯へ行って遊んでくる。夏や秋は一週間も釣ってくる。海水浴場とか温泉にも遠く、何の設備もないそういう場所が、まだ日本にはいくらもある。たとえば式根島でもそれを味える、神津島でも八丈島でも、陸つづきなら下田以南、石廊岬から西へ行けば、私のいう荒磯はいくらもあり、関西なら潮岬から土佐海岸、その少し交通不便なところというものは、又釣人にとっての好適地で、天然の水中牧場がひらけ、千百種の魚が遊んでいるのである。
 この場合、釣とは原始に還ることである。そして最も生新に自然と遊ぶことである。特にリール竿の研究、餌の問題、魚の習性というものをよく会得し得られることによって、詩と科学の世界へまで侵入し、そこに自然の運動を感知することが出来る。荒磯の興味は殊にそういう点で、多忙な現代の人士にとっては必要なものではなかろうか、恰度三千米突以上の高山に登って、夏、白雪と雲表の中に崇高な天上の歓喜を感ずるように、外洋に向った荒磯にでて、南洋はるか共栄圏の島々をかんじ、鵬程一万粁の海上を望んで、只一人怒濤の巌上に皇土を踏みしめているうれしさ、この悠久たる釣戯、まるで私達は神代を今に生活するような鬱勃たる生気に浸ることが出来る。
 磯釣りのよさはそこにある、その有限と無限の境界線に立って、白日の夢のように、永遠なる自然界に没入し、あらゆる意識を去って魚と遊び争う生物としての歓楽にある。普通人にとっては、ただ風と浪と岩ばかりの海岸線も、こうして島国日本のふしぎな魅力を感ずるというのも、考えようによっては釣人にとっての役得である。



底本:「日本の名随筆4 釣」作品社
   1982(昭和57)年10月25日第1刷発行
   1995(平成7)年3月30日第24刷
入力:浅葱
校正:門田裕志
2005年1月7日作成
青空文庫作成ファイル:
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