おまへの感じに生かしたやうな
清艶なわびしさを
どんなに私は身に沁ませて
ささやかな一人ぼつちの影をたわめ
枝深い濕つた紫陽花の花に
つめたい精神をあたへては心をこきまぜ
遠いあの朝の目覺めを感じてゐるであらう。
華麗な哀愁
ちつとも、清らかでも、純粹でもない
田舍の藪のなかを喜んで歩く戀人よ
狐の葉ぼたんや道端の晝がほが
青艶で、水水してゐて、たまらなく簡素なのに
色の絹と金屬をまきつけて、白粉の光らない
華麗で、ほの青い、そして黄色がかつた戀人よ
あまりに自然色のまま、日影もあらはに
どうしても暗く、悲しく、見れば氣も醒めて
美しいと思つた時を怨むやうな
ただ今日の散歩の後の追憶のみをたのしみに
奇異なほこりと刺激をこきまぜて
私はゆたり、ゆたりとお伴をしよう。
清婉
影をふかめ、ふかめ、
颯としたうす青い闇で
こんなにも幽かな色艶をした空氣が
ひつそりとつめたく流れてゐるだらう
杉から出て、竹の中へくると
又こまやかで、いつそうさやかな晝ではないか
どこかに雪いろさへあるだらう
その顏が淡紅色をよび戻したではないか
しかしかうして見ると、又
その藍と銀と黒づくめのほつそりした姿が
妙に竹の匂ひがするやうな
むしろ竹よりも朽ちる百合の匂ひがして
一瞬間だけは
清凄といつたやうな風が吹くやうに思へるよ。
女の幼き息子に
幼き息子よ
その清らかな眼つきの水平線に
私はいつも眞白な帆のやうに現はれよう
おまへのための南風のやうな若い母を
どんなに私が愛すればとて
その小さい視神經を明るくして
六月の山脈を見るやうに
はればれとこの私を感じておくれ
私はおまへの生の燈臺である母とならんで
おまへのまつ毛にもつとも樂しい灯をつけてあげられるやうに
私の心靈を海へ放つて清めて來ようから。
燦爛たる若者
海の扇よ、吹けよ、鳴れよ
こんなにもあかるく、氣高く
ロマンチックな、ロマンチックな
あざやかな燈臺の新夜の色をもつて
つよい檣のやうに僕を煽いでくれたおまへに
今沛然たる大氣と清らかな風との
放電的な濤の聲をもつてふれよう、ふれよう
こんなにも高い防波壁の上で
川から來た若い白鷺のやうに
七月の北風をあびせ、あびせ
星が光環をつくるやうに發情するおまへを
僕は航海家の貪慾をかがやかして
船乘りがもつ愛情を理解して貰ひ
或は僕の生涯をあきらかにしてくれたおまへを歌ひ
海の扇をひらき、ひらき
清らかな胸のシンバルを叩きながら
さあ、お互ひが一つの新航路へ
いきいきとして漕ぎ出よう、漕ぎ出よう。
幽艶
女よ、女よ
林中の
陰ふかいすずやかな部屋に灯がともり
おそき月木の間にさしいでて
影をまとひ、色をまとひ
愁ひつつ或は喜び、灯にうつり、影に入り
秋の匂やかな二つの眼をぢつとそそいで
夜に塗られた銀と藍との衣裳を引きゆたね
小さい扇のやうな盃をあげしほの明るかつた時は
曉色なすいつの夏の夜であつたらうか。
ひそかに、ひそかに、女よ、思ひ出て見よ
枝はさつさと風をはらひ、水は月影をふくみ、ふくみ
もうろうと煙の如く醉へば
涼やかなる幽情は灯を消し、月をさへぎり
ほの青き霧の風景を部屋にしづめて
雨の匂ひを感じ、美しき夜氣を點じ
うす紅色の頬に朝のくるまで
その黒髮のふかいものの氣を竹林のやうに
あの木の間の月に洗ひ清めた時は
いかに微かな幽玄なる時代であつたらうか。
四月の人人
あつい四月の朝の山のなかを
まつ赤になつてせつせとあるきながら
僕は一生懸命に花をつけてゐる名も知らぬ木の花を
おまへの手がもちきれぬほどへし折つては
ふしぎに重たい黄金の旗を引きあげるやうに
ほのかな灌木のなかへおまへをさそひこみ
藤色と黒の衣裳がうすら赤い天城特有の
よい匂ひのする石楠花の花に引つかかつて
さわさわとかがやき日の色にあやめもわかず
朝の紅がおまへの美しい肉にしみ出るまで
どんなに元氣よく歩いたらう
あのおびただしい爽かな空色とうす黄の花が
まつ毛をいつぱいに照る天氣に魅入られ
おまへと僕をほんのりとすき透してしまつて
うす紫の影のある涼しい歡喜が
天然の色のまま名もない木木の花の房を
まるで生きた祭りの
鮮かな情慾のやうに染めたつけ
おまへはあをあをとした孔雀のやうに
僕をいつぱいに愛してゐてくれて
惜しげもなくそのふくよかな羽や瞳を
この山中の枝枝と日の影の方へちらばしてくれるし
僕はこの重たい春の日のつやつやした情熱を
濕りのあるふかい思想のやうにあたため
そのまま滿ちあふれるおまへの呼吸を
つよい肉情の楯のみで
どうして防いでゐられよう
僕はどうして山がこのやうに花と大氣を背負うて
うつとりとしてゐるかをうすうす感じながら
おまへがよりかかつた石楠花の木の花のやうに
全身にすつかり風と熱と
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