んぱん》の風に吹きたわめられて、その根元は右に動き左に動き、ギイギイとものすごい音をたてる。もしマストが折れたら船には一本のマストもなくなる、このまま手をむなしくして、波濤《はとう》の底にしずむのをまつよりほかはないのだ。
「もう夜が明けないかなあ」
ドノバンがいった。
「いや、まだです」
と黒人のモコウがいった。そうして四人は前方《ぜんぽう》を見やった。海はいぜんとしてうるしのごときやみである。
とつぜんおそろしいひびきがおこった。
「たおれたッ」とドノバンがさけんだ。
「マストか?」
「いや、帆が破《やぶ》れたんだ」
とゴルドンがいった。
「それじゃ帆をそっくり切りとらなきゃいかん、ゴルドン、きみはドノバンといっしょに、ここでハンドルをとってくれたまえ、ぼくは帆を切るから……モコウ! ぼくといっしょにこいよ」
富士男は、こういって決然《けつぜん》と立った。かれはおさないときから父にしたがって、いくたびか、シドニーとニュージーランドのあいだを航海した。そのごうまいな日本魂《にっぽんだましい》と、強烈《きょうれつ》な研究心は、かれに航海上の大胆《だいたん》と知識《ちしき》をあたえた。十四人の少年が、かれをこのサクラ号の指揮者《しきしゃ》となしたのも、これがためである。モコウはおさないときに船のボーイであったので、これも船のことにはなれている。
ふたりは前檣《ぜんしょう》の下へきて、その破損《はそん》の個所《かしょ》をあらためてみると、帆は上方のなわが断《き》れているが、下のほうだけがさいわいに、帆桁《ほげた》にむすびついてあった。ふたりは一生けんめいに、上辺《じょうへん》のなわを切りはなした。帆は風にまかせて半空《はんくう》にひるがえった。ふたりはようやくそれをつかんで、下から四、五尺までの高さに帆桁《ほげた》をおろし、帆の上端を甲板《かんぱん》にむすびつけた。これで船は風に対する抵抗力《ていこうりょく》が減《げん》じ、動揺《どうよう》もいくぶんか減ずるようになった。
ふたりがこの仕事をおわるあいだ、ずいぶん長い時間を要した。大きな波は、いくどもいくどもふたりをおそうた。ふたりは帆綱《ほづな》をしっかりとにぎりながら、危難《きなん》をさけた。
仕事がおわってふたりはハンドルのところへ帰ると、階段の口があいて、そこからまっ黒な髪《かみ》をして、まるまるとふとった少年の顔があらわれた。それは富士男の弟次郎である。
「次郎、どうしてきた」
と兄はとがめるようにいった。
「たいへんだたいへんだ、兄さん、水が船室にはいったよ」
「ほんとうか」
富士男はおどろいて階段をおりた。もし浸水《しんすい》がほんとうなら、この船の運命は五分間でおわるのである。
船室のまんなかの柱には、ランプが一つかかってある。そのおぼつかないうすい光の下に、十人の少年のすがたをかすかに見ることができる。ひとりは長いすに、ひとりは寝台《しんだい》に、九歳や十歳になる幼年たちは、ただ恐怖《きょうふ》のあまりに、たがいにだきあってふるえている。富士男はそれを見ていっそう勇気を感じた。
「このおさない人たちをどうしても救わなきゃならない」
かれはこう思って、わざと微笑《びしょう》していった。
「心配することはないよ、もうじき陸だから」
かれはろうそくをともして室内のすみずみをあらためた、いかにも室内にすこしばかりの水たまりができている、船の動揺《どうよう》につれて水は右にかたむき左にかたむく。だが、それはどこからはいってきたのかは、いっこうにわからない。
「はてな」
かれは頭をかしげて考えた。するとかれはこのとき、海水にぬれた壁《かべ》のあとをおうて眼をだんだんに上へうつしたとき、水は階段の上の口、すなわち甲板《かんぱん》への出入り口から下へ落ちてきたのだとわかった。
「なんでもないよ」
富士男は一同に浸水《しんすい》のゆらいを語って安心をあたえ、それからふたたび甲板へ出た。夜はもう一時ごろである。天《そら》はますます黒く、風はますますはげしい。波濤《はとう》の音、船の動く音、そのあいだにきこえるのは海つばめの鳴き声である。
海つばめの声がきこえたからといって、陸が近いと思うてはならぬ、海つばめはおりおりずいぶん遠くまで遠征《えんせい》することがあるものだ。
と、またもやごうぜんたる音がして、全船《ぜんせん》が震動《しんどう》した、同時に船は、木の葉のごとく巨濤《きょとう》の穂《ほ》にのせられて、中天《ちゅうてん》にあおられた。たのみになした前檣《ぜんしょう》が二つに折れたのである。帆はずたずたにさけ、落花《らっか》のごとく雲をかすめてちった。
「だめだ」とドノバンはさけんだ。「もうだめだ」
「なあにだいじょうぶだ、帆がなくてもあっても同じ
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