が、……」
右岸の十メートルくらいむこうに、ホラホラと燃ゆるたき火の光が、木の間をうがって赤く見える。
「舟をつけよ」
「危険《きけん》ですよご主人! 悪漢《あっかん》かもしれません」
「ドノバンかもしれない」
「わたしもいっしょにつれていってください」
「いや、ぼくがひとりでゆく、きみはボートをまもってくれたまえ」
「そうですか」
とモコウは鼻を鳴らした。
身軽《みがる》くボートをとびおりた富士男は、腰刀を右手にぬき、左手に銃をにぎって、火光をたよりに灌木林《かんぼくばやし》をわけすすんだ。
火を受けた一団の大きな黒い影が、うごめいている。とその一つが、ほえ声とともに身をおどらしてとびかかった。
「あっ! ジャガー(アメリカとら)だ!」富士男はがくぜんとした。
「助けて、助けて!」と絹《きぬ》をさく悲鳴《ひめい》!
「あっ! ドノバンの声だ!」
富士男はまりのように火光めがけてとんだ。見ればまさしくドノバンが地上に倒れ、赤手《せきしゅ》をふるって格闘《かくとう》している。左のほうの木陰に寄ってイルコックが、銃をかまえてねらいをつけている。
「イルコック! 銃をはなってはいけない」
と富士男がさけんだ。
「ああ、富士男君!」
とイルコックがさけんだ。
富士男はそれに答えず、とらのうしろにまわってとびかかりざま、ひとつき刺《さ》した。新たな敵を見てとったとらは、らんらんたる目をいからし、大口あけてふりむきざまに富士男をめがけて、ひと撃《う》ちとばかりつかみかかった。ドノバンはそのすきにのがれた。すばやく身をひるがえした富士男は、身をしずめて一刀をつかをも通れと、とらの腹部をつきさした。ものすごいうなりをあげてとらは、どっと地ひびきたててたおれた。
富士男はホッと息をついた。とらのためにひっかかれたと見え、左かたの服はずたずたにさけて、鮮血《せんけつ》がこんこんと流れだしている。
「富士男君! これを!」
とドノバンがシャツの袖《そで》をちぎって、くるくるとゆわえた。見る見る鮮血《せんけつ》は仮《かり》ほうたいをまっかに染めた。ドノバンはじっとそれをみつめた。
つねに命令にそむき、侮辱《ぶじょく》し、反対の行動をとった自分である。それをいま、富士男は一身の危険《きけん》をおかして一命を救ってくれた。こう思うとドノバンは、心の奥底からつきあげてくる悔恨《かいこん》の情にせめられた。
「富士男君! ぼくをゆるしてくれたまえ、ぼくはなんといって感謝していいかわからない!」
ドノバンはボロボロと涙をこぼした。
「なんでもないよ、ドノバン君、きみだってぼくの地位に立ったら、ぼくを救ってくれたにちがいない、そんなことはどうでもいいじゃないか、おたがいのことだよ、それよりぼくらは、早くここを去らねばならない」
「どうして?」
とイルコックがいった。
「道々、話すよ、さあゆこう」
と富士男が四人をせきたてた。
かれはことば短かに、海蛇《うみへび》らの凶悪無慚《きょうあくむざん》を語った。
「セルベン号! それはぼくらも知ってる」
と四人が同時にさけんだ。
「そのためにぼくらを救いにきてくれたのだね」
とドノバンが感きわまっていった。
「いま、ぼくらは一|致協力《ちきょうりょく》して大敵にあたらねばならないのだ」
と富士男がいった。
「ではぼくの発砲《はっぽう》をとめたのもそのためだね」
とイルコックがいった。
「そうだ、万一悪漢どもにきこえたらたいへんだからね」
「ああぼくははずかしい、きみはぼくよりも、百|段《だん》もすぐれた人だ、富士男君! なんでも命令してくれたまえ、ぼくはきみの命令ならなんでも服従する」
とさすが倣岸《ごうがん》のドノバンも、富士男の勇気と思慮《しりょ》と大きな愛の前に頭をたれた。かれはかたく富士男の手をにぎった。
「日本人はえらい!」
とイルコックがさけんだ。
「これが、ほんとの大和魂《やまとだましい》っていうんだ」
とウエップがいった。
「そんなにほめてくれてぼくこそはずかしい」
と富士男がほおを赤くした。
「ぼくはただ当然《とうぜん》のことをしたまでだよ」
富士男の冒険《ぼうけん》
星の光がうすれて、黒々ともりあがった森のかなたの空が、ポッとほの黄色くあかつきの色を点じた。
「夜が明けたぞ」
とサービスがいった。声は寒さにふるえている、春とはいえ未明《みめい》の河畔《かはん》の空気はつめたい。悪漢どもの目につくことをおそれて火気は禁じられているのだ、寒いが、危険をおかして捜索《そうさく》に出た友の身の上を思えばなんでもない、各自はかたくくちびるをかんで一行の帰りを待った。
じょじょに東の天《そら》は紅《あか》みをましてゆく。草むらが動いて、目ざめた鳥が
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