なって死んだのだ」
「ぼくらもだめかなあ」
ぼうぜんと立ちつくす三人をはげまして、富士男は洞穴を出て、もとのぶなの木の下にきて地をほり、ていねいに白骨を埋葬《まいそう》した。
「ねえきみ」
と富士男は感激《かんげき》の眼に涙をたたえて、三人にいった。
「日本は世界じゅうでもっとも小さな国だが、日本人の度量《どりょう》は、太平洋よりも広いんだ、昔から日本人は海外発展に志《こころざ》して、落々《らくらく》たる雄図《ゆうと》をいだいたものは、すこぶる多かったのだ、この山田という人は通商《つうしょう》のためか、学術研究のためか、あるいは宗教のためか、どっちか知らないが、図南《となん》の鵬翼《ほうよく》を太平洋の風に張った勇士にちがいない、それが海難にあって、無人境の白骨となったとすれば、あまりに悲惨《ひさん》な話じゃないか、だがけっして犬死《いぬじ》にでなかった、山田は数十年ののちに、その書きのこした手帳が、なんぴとかの手にはいるとは、予期《よき》しなかったろうと思う、絶海《ぜっかい》の孤島《ことう》だ、だれがちょうぜんとして夕陽《ゆうひ》の下に、その白骨をとむらうと想像《そうぞう》しえよう、それでもかれは、地図をかいた、その地図は、いまぼくらの唯一《ゆいつ》の案内者となり、その洞穴は、いまぼくらの唯一の住宅となった。ぼくははじめて知った、人間はかならずのちの人のために足跡をのこす、いやのこさなければならんものだ、それが人間の義務だ、だからぼくらものちの人のために、りっぱな仕事をして、りっぱな行ないをつまなければならん、人間はけっして、ひとりでは生きてゆけない、死んだ人でも、のちの人を益《えき》するんだからね、ぼくはいまそれがわかった、きみらはどう思うかね」
「むろん賛成《さんせい》だ」
とサービスがいった。
「みなでこの恩人《おんじん》に感謝《かんしゃ》しようじゃないか」
四人は一|抔《ぼう》の土にむかって合掌《がっしょう》した。
協力
殉難《じゅんなん》の先人山田左門の白骨をぶなの木の下にほうむった四人は、山田ののこした地図をたよりに洞外《どうがい》に流るる河にそうて北西をさしてまっすぐにくだった。ゆくときの困難《こんなん》にひきかえて、帰りは一歩も迷《まよ》うところなく、わずか六時間でサクラ湾《わん》の波の音をきくことができた。もう日はまったく
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