ついぜん》をやっているとき、富士男はサクラ号のふなばたに立って、きっと泡《あわ》だつ怒濤《どとう》をみつめていた。
平和な海面なら、綱を持って対岸《たいがん》まで泳ぎつくことは、至難《しなん》でない、だが嵐《あらし》のあとの海は、まだ獰悪《どうあく》である。幾千とも知れぬ大岩小岩につきあたる波は、十|丈《じょう》の高さまでおどりあがっては、瀑《たき》のごとく落下し、すさまじい白い泡と音響《おんきょう》をたてて、くだけてはちり、ちってはよせる。
おそろしい怒濤《どとう》の力! もしそれにひかれて岩角にたたきつけられたら、富士男のからだはこっぱみじんになる。
「兄さん、いっちゃいけない」
と次郎は兄のそばへ走ってさけんだ。
「いいよ、心配すな、次郎!」
富士男はわざと微笑《びしょう》をむけて、弟の頭をなでた。
「だいじょうぶかえ」
とゴルドンはいった。
「やるよりしようがない、これが最善《さいぜん》の道だと考えた以上は、死んでもやらなきゃならない」
「しかし……」
「ゴルドン、安心してくれたまえ、ぼくは父からきいたが、日本のことわざに、『義を見てなさざるは勇なきなり』というのがあるそうだ」
富士男は綱をくるくるとからだにまきつけた。
「よしッ、いってくれ」
とゴルドンはいった、その声がおわらぬうちに、富士男はざんぶと水におどりこんだ。
「やった!」
一同はふなばたに立って、富士男のすがたをみつめた、富士男はみごとに抜き手をきって泳ぎだした。
「だいじょうぶ? ゴルドン?」
と次郎はまっさおになってきいた。
「ああたぶん……」
ゴルドンは富士男のすがたからすこしも眼をはなさずにいった。そうして綱をするすると送りだした。だがかれはこのとき思わず「あっ」と声をあげた。
いましも富士男の行く手に、むくむくとふくれあがった、巨大《きょだい》な波が見えた、風は引き潮とあいうって、巨大な波のうしろに、より巨大な波がおそいかけている。しかもそれは、岩と岩のあいだを通ってくるはげしき波とつきあたるが最期《さいご》、そこに大きな波のくぼみができるにそういない、それにひきこまれたら、鉄のからだでもたまったものでない。
「気をつけい!」
ゴルドンは声をかぎりにさけんだ、だがその声は、すぐおどろきの叫喚《きょうかん》にかわった。
「やられたッ」
いかにも富士男のからだは
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