母がいった。チビ公をるすにして二人《ふたり》はそれぞれ知人をたよって示談の運動をした。
「よろしい、なんとかしましょう」
 こう快諾《かいだく》してくれた人は四、五人もあったが、翌日《よくじつ》になると悄然《しょうぜん》としてこういう。
「どうも阪井のやつはどうしてもききませんよ、このうえは弁護士にたのんで……」
 望みの綱《つな》も切れはてて一家三人はたがいにため息をついた。もとより女と子どものことである、心は勇気にみちてもからだの疲労《ひろう》は三日目の朝にはげしくおそうてきた。母の肩は紫《むらさき》に腫《は》れて荷を負うことができない、チビ公は睡眠《すいみん》の不足と過度の労働のために頭が大盤石《だいばんじゃく》のごとく重くなり動悸《どうき》が高まり息苦しくなってきた。
 豆腐を買う人は多くなったが、作る人がなくなり売りにでる者がなくなった。
 示談が不調で覚平《かくへい》は監獄《かんごく》へまわされた。

         三

 何人《なんぴと》が覚平のさしいれ物をしたかは永久の疑問として葬《ほうむ》られた。しかしチビ公の一家は次第次第に貧苦に迫った。夜中の二時に起きて豆腐を
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