くれたまえ」
「飲食店へ出入りするが悪いよ」と彰義隊《しょうぎたい》がいった。
「それはね、学生としていいことではないが、ぼくらだってそばが食いたかったり、しるこ屋へはいることもあるから手塚ばかりは責められないよ」と光一はいった。
「活動を見にゆくのはけしからん」
「しかし、諸君の中に活動を見ない人があるかね、どうだ」
光一は四人を見まわした、一同はだまった。
「女と合奏したり、手紙をやりとりするのはどうだ」
「それはぼくもよくないと思う、しかしそんなことは忠告ですむことだ、一度忠告してきかなかったらそのときに第二の方法を考えようじゃないか、ぼくは生蕃《せいばん》のことでこりた、生蕃は決して悪いやつじゃなかった、だがあのとき諸君がぼくに同情して生蕃を根底からにくんだ、そのために彼はふたたび学校へくることができなくなった、ぼくはいつもそれを思うと、われわれは感情に激《げき》したためにひとりの有為《ゆうい》の青年を社会から葬《ほうむ》ることになったことが実に残念でたまらん、人を罰するには慎重《しんちょう》に考えなければならん、そうじゃないか」
光一の真剣な態度は一同の心を動かした。
「そういえばそうだ」と彰義隊は快然といった。
「それじゃだれが手塚に忠告するか」
「ぼくでよければぼくがいおう」と光一はいった。
「よし、それできまった、だがもしそれでも反省しなかったらそのときにはだれがなんといってもぼくはあいつをなぐり殺すぞ」
「よしッ、ぼくはかならず反省さしてみせる」
会議はおわった、光一はみなとわかれてひとり町を歩いた。悲しい情緒《じょうちょ》が胸にあふれた。かれは他人の欠点をいうことはなにより嫌いであった、ましてその人に向かってその人を侮辱するのは忍び得ざることである。
だがいわねばならぬ、いわねば手塚はなぐられる、なぐられるのはかまわないとしたところで、手塚は自分の悪事を悪事と思わずにますます堕落《だらく》するだろう、かれには美点がある、だが欠点が多い、かれは美点を養わずに欠点をのみ増長させている、かくてかれは終生救うべからざる淵《ふち》にしずむだろう。
こうかれは決心した。かれはすぐ手塚の家をたずねた。ちょうど勝手口に手塚の母が立っていた、光一は手塚の母がおりおり三味線《しゃみせん》を弾《ひ》いているのを見たことがあるので、いつもなんとなく普通の人でないような気がするのであった。
「手塚君は?」
「まだ学校から帰りません」と母がいった。
「いいえお帰りになりました」と女中が横合いから声をだした。
「そうかえ」
「お着かえになってすぐおでましになりました」
「どこへいったんですか」と光一がきく。
「さあどこですか、なんだか大変にお急ぎでいらっしゃいました」
「活動じゃないかえ」と母がいった。
「そうかも知れません」
光一は一礼して外へ出た。
「活動だ、それにちがいない」
光一は手塚の母が平気で、「活動じゃないかえ」
といった言葉をおもいだした。
あの家では活動を見ることを公然ゆるしていると見える、お母さんが承知の上なのだ、それに対して学校がいくら活動を禁じてもなんの役にもたたない話だ。
一体あの家では手塚が学校から帰ったかどうかもよく知らずにいる、それでは手塚が外でなにをしてるかを知らないのも無理がない。
「手塚は不幸な男だ」
光一はふとこう考えると目が熱くなった、家庭に楽しみがないから、外に楽しみを求めるのだ、活動、飲食店、不良少女、遊びの友達! かくてかれはなぐられねばならなくなる。
いろいろな感慨が胸に溢《あふ》れた、かれはそのまま足を活動小屋に向けた。
光一とても絶対に活動写真を見ないではなかった、かれは新聞や雑誌や世間のうわさに高いものを五つ六つは見にいった、だがかれはいつもたえきれないような醜悪《しゅうあく》を感じて帰るのであった。
活動館の前に五色の旗が立って春風にふかれている、そこからいかにも無知な子守りや女工などが喜びそうな楽隊の音がもれて聞こえる、小屋の前の軒《のき》の下に写真がいくつもいくつも掲げられてその下に大勢の子供、米屋の小僧、小料理屋の出前持ち、子を背負う女中などが群れていた。光一が第一に不愉快なのは切符《きっぷ》の売り場に大きなあぐらをかいてしりまであらわしているほていのような男が横柄《おうへい》な顔をしてお客を下目に見おろしていることである、それと向かいあって栄養不良のような小娘が浅黄の事務服を着てきわめてひややかに切符を受けとる。光一はそれをがまんしなければならなかった。
暗い幕をくぐって中にはいると正面のスクリーンに西洋人の女の顔が現われた、うす明かりに見物人の頭が見える、土曜日のこととてお客は一ぱいである。光一はようやく中ほどへ進んでようやくこしかけの端《
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