出獄するといううわさが拡まった。
「おもしろい、覚平がきっと復讐するにちがいない」と人々はいった。
ある日光一は覚平を見た、かれはよごれたあわせに古いはかまをはいて首にてぬぐいをまいていた、一月の獄中生活でかれはすっかりやせて野良犬《のらいぬ》のようにきたなくなり目ばかりが奇妙に光っていた、かれは非常に鄭重《ていちょう》な態度で畳《たたみ》に頭をすりつけてないていた。
「ご恩は決してわすれません、きっときっとお返し申します」
かれはきっときっとというたびに涙をぼろぼろこぼした。
「もういいもういいわかりました、だれにもいわないようにしてな、いいかね、いわないようにな」
と父はしきりにいった。
「きっと、きっと!」
覚平《かくへい》はこういって家をでていった、光一ははじめて例のさしいれものは父であることをさとった。その翌日から町々を顛倒《てんとう》させるような滑稽《こっけい》なものがあらわれた。懲役人《ちょうえきにん》の着る衣服と同じものを着た覚平は大きな旗をまっすぐにたてて町々を歩きまわるのである。旗には墨痕淋漓《ぼっこんりんり》とこう書いてある。
「同志会の幹事《かんじ》は強盗《ごうとう》の親分である」
かれは辻々に立ち、それから町役場の前に立ち、つぎに阪井の家の前に立ってどなった。
「折詰《おりづめ》をぬすんだやつ、豆腐をぬすんだやつ、学校を追いだされたやつ、そのやつの親父《おやじ》は阪井猛太だ」
巡査が退去を命ずればさからわずにおとなしく退去するが、巡査が去るとすぐまたあらわれる、町の人々はすこぶる興味を感じた、立憲党の人々はさかんに喝采した、ときには金や品物をおくるのであったが、覚平は一切拒絶した。
これがどれだけの効果があったかは知らぬが選挙はついに立憲党の勝利に帰した。覚平は町々をおどり歩いた。
「ざまあ見ろ阪井のどろぼう!」
もう光一は学校へ通うようになった、とこのとき校内で悲しいうわさがどこからとなく起こった。
「校長が転任する」
このうわさは日一日と濃厚《のうこう》になった、生徒の二、三が他の先生達にきいた。
「そんなことはありますまい」
こう答えるのだが、そういう先生の顔にも悲しそうな色がかくしきれなかった。生徒の主なる者がよりよりひたいをあつめて協議した。
「本当だろうか」
このうたがいのとけぬ矢先《やさき》に手塚はこうい
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