らぼくは賛成する、こそこそはぼくにできない、絶対にできないよ」
「偽善者《ぎぜんしゃ》だねきみは」と手塚はいった。
「なんとでもいいたまえ、ぼくは卑劣《ひれつ》なことはしたくないからふだんに苦しんで勉強してるんだ、きみらはなまけて楽をして試験をパスしようというんだ、その方が利口かも知らんがぼくにはできないよ」
「きみは後悔《こうかい》するよ、生蕃はなにをするか知れないからね」
光一は答えなかった。光一の席の後ろは生蕃である、光一が教室にはいったとき、生蕃は青い顔をしてだまっていた。
幾何学《きかがく》の題は至極《しごく》平易なのであった、光一はすらすらと解説を書いた、かれは立って先生の卓上《たくじょう》に答案をのせ机《つくえ》と机のあいだを通って扉口《ドアぐち》へ歩いたとき、血眼《ちまなこ》になってカンニングの応援を待っているいくつかの顔を見た。阪井は頭をまっすぐに立てたまま動きもしなかった。手塚は狡猾《こうかつ》な目をしきりに働かせて先生の顔を、ちらちらと見やっては隣席の人の手元をのぞいていた。
「気の毒だなあ」
光一の胸に憐愍《れんびん》の情が一ぱいになった。かれは自分の解説があやまっていないかをたしかめるために控《ひか》え席《せき》へと急いだ。
ひとりひとり教室からでてきた、かれらの中には頭をかきかきやってくるものもあり、また大功名をしたかの如くにこにこしてくるものもあり、あわただしく走ってきてノートを開いて見るものもあった、人々は光一をかこんで解説をきいた、そうして自分のあやまれるをさとってしょげかえるものもありまた、おどりあがって喜ぶものもあった、この騒《さわ》ぎの中に阪井が青い顔をしてのそりとあらわれた。
「どうした、きみはいくつ書いた」と人々は阪井にいった。
「書かない」と阪井は沈痛にいった。
「一つもか」
「一つも」
「なんにもか」
「ただこう書いたよ、援軍《えんぐん》きたらず零敗《れいはい》すと」人々はおどろいて阪井の顔を見詰《みつ》めた、阪井の口元に冷ややかな苦笑が浮かんだ。
「だれかなんとかすればいいんだ」と手塚がいった。
「ぼくは自分のだけがやっとなんだよ」とだれかがいった。
「一番先にできたのはだれだ」と手塚がいった。
「柳だよ」「そうだ柳だ」
「柳は卑劣だ、利己主義《りこしゅぎ》だ」
声がおわるかおわらないうちに阪井は弁当箱《べ
前へ
次へ
全142ページ中35ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
佐藤 紅緑 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング