大沢小使いの一番おそれていたのは体操の先生の阪本少尉《さかもとしょうい》であった、かれは少尉の顔を見るといつも直立不動の姿勢で最敬礼をするのであった。
「小使い! お茶をくれ」
「はい、お茶を持ってまいります」
 実際大沢は校長に対するよりも少尉に対する方が慇懃《いんぎん》であった、生徒はかれを最敬礼とあだ名した。
 最敬礼のもっともきらいなのは生蕃であった、生蕃はいつもかれを罵倒《ばとう》した。生蕃は大沢一等卒が牙山《がざん》の戦いで一生懸命に逃げてアンペラを頭からかぶって雪隠《せっちん》でお念仏をとなえていたといった。それに対して大沢は顔を赤くして反駁《はんばく》した。
「見もしないでそんなことをいうものじゃない」
「おれは見ないけれども官報にちゃんとでていたよ」と生蕃がいった。
「とほうもねえ、そんな官報があるもんですか」
 なにかにつけて大沢と生蕃は喧嘩した、それがある日らっぱのことで破裂した。大沢が他の用事をしているときに生蕃がらっぱをぬすんでどこかへいってしまった。これは大沢にとってゆゆしき大事であった。大沢は血眼《ちまなこ》になってらっぱを探した、そうしてとうとう生蕃があめ屋にくれてやったことがわかったのでかれは自分の秘蔵《ひぞう》している馬の尾で編んだ朝鮮帽をあめ屋にやってらっぱをとりかえした。
「助役のせがれでなけりゃ口の中へらっぱをつっこんでやるんだ」とかれは憤慨《ふんがい》した。
 生蕃の素行についてはしばしば学校の会議にのぼったが、しかしどうすることもできなかった。英語の先生に通称カトレットという三十歳ぐらいの人があった、この先生は若いに似ずいつも和服に木綿《もめん》のはかまをはいている、先生の発音はおそろしく旧式なもので生徒はみんな不服であった。先生はキャット(ねこ)をカットと発音する、カツレツをカトレットと発音する。
「先生は旧式です」と生徒がいう。
「語学に新旧《しんきゅう》の区別があるか」と先生は恬然《てんぜん》としていう。
「しかし外国人と話をするときに先生の発音では通じません」
「それだからきみらはいかん、語学をおさめるのは外人と話すためじゃない、外国の本を読むためだ、本を読んでかれの長所を取りもってわが薬籠《やくろう》におさめればいい、それだけだ、通弁になって、日光《にっこう》の案内をしようという下劣な根性のものは明日《あす》か
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