ぼう》していた師範生はことごとく黙々の味方となった。安場が先頭になって一同は中学の門前で凱歌《がいか》をあげた、そうして町を練り歩いた。町々では手おけに水をくんで接待したのもあった。善兵衛は自分の店のみかんを残らずかつぎ込んでみかんをまきながら選手の後について行った。一同は喜び勇んで塾《じゅく》へ帰った。かれらは塾の前でみんなシャツを脱ぎ、へそをだして門内へはいった。
先生は一帳羅《いっちょうら》の羽織とはかまをつけて出迎えた。
「勝ちました」と安場がいった。
「それは最初からわかってる」と先生がいった、そうして「ボールをやると同じ気持ちで学問をすれば天下の大選手になれる」とつけくわえた。
十
へその秘伝をおぼえてから千三はめきめきと腕が上達した。浦中と黙々は復讐戦《ふくしゅうせん》をやる、そのつぎには決勝をやる、復讐のまた復讐戦をやるという風にこの町の呼《よ》び物《もの》になった。
「チビ公のやつ、どうしておれの球をあんなに打つんだろう」
光一はふしぎでたまらなかった、実際千三はいかなる球をも打ちこなした、対師範校との試合にはオールヒットの成績をあげた。それは光一に取ってもっとも苦しい敵であったが、しかし光一はそのためにおどろくべき進歩を示した、かれはどうかしてチビ公に打たれまい、チビ公を三振させようと研究した。昔|武田信玄《たけだしんげん》と上杉謙信《うえすぎけんしん》はたがいに覇業《はぎょう》を争うた、その結果として双方はたがいに研究しあい、武田流の軍学や上杉風の戦法などが日本に生まれた。もっともよき敵はもっともよき友である、他山の石は相《あい》砥礪《しれい》して珠になるのだ。千三があるために光一が進み、光一があるために千三が進む。
戦場においては敵となりしのぎをけずって戦うものの光一と千三は家へ帰ると兄弟のごとく親しかった。
「今日《きょう》は一本も打たせなかったね」
「このつぎにはかならず打つぞ」
二人はわらって話し合う。どんなに親しい間柄でも公《おおやけ》の戦場では一歩もゆずらないのがふたりの約束であった。時として光一は家へ帰ってもものもいわずにふさぎこんでることがある、だが千三がたずねてくるとすぐ愉快な気持ちになるのであった。
あるとき光一はまじめな顔をしてこういった。
「青木君、ぼくの学校へ入学したまえよ」
「いまさ
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