も一点は取るだろうと人々は思った、投手五大洲はじっと腕をくんで捕手のサインを見やった。第一球は高目のカーブであった。五大洲はそのとおりに球を投げた。小原はボールを取るだろうと思いのほか、かれはおどり上がってそれを打った、球はショートの頭をはるかに高く飛んだ、千三はうしろに走った、と球は伸《の》びるかと思いのほか、途中で切れてさか落としに落ちた、ハッと思う間もない、光一は疾風《しっぷう》のごとく本塁を襲《おそ》うた、千三はあわててホームに投げた、球は高くネットを打った。
次の打者の三振でわずかに食い止めたものの、第一回において黙々《もくもく》は一点を負けた。千三は顔をあげることができなかった、かれはなくにもなけなかった。
ぼんやりベンチへ帰ると安場はにこにこしていた。
「おい、だいじょうぶ今日の試合はこっちのものだぞ」
「ぼくはだめだ」と千三がいった。
「いやなかなかいい、すてきにいい」と安場はいった。
柳がダイヤモンドに立ったとき群集は一度に喝采《かっさい》した。実際柳の風采、その鷹揚《おうよう》な態度はすでに群衆を酔《よ》わした。それに対して小原の剛健|沈毅《ちんき》な気宇《きう》、ふたりの対照はたまらなく美しい。
「柳!」
「小原!」
この声と共に学校の応援歌がとどろいた。黙々《もくもく》の第一打者は五大洲である。かれはかんかんにおこっていた。かれは頭の鉢巻きをかなぐりすてたとき、その斑々《はんぱん》たる火傷《やけど》のあとが現われたので見物人はまたまた喝采した。
柳は静かに敵の姿勢を見やった、そうして美しいボディスイングを起こした。のびのびとした四肢《しし》や胴体のあざやかさ、さながら画に見るがよう、球が手をはなれた。五大洲がバットをふったかと見ると球は左翼の頭上はるかに飛んだ、外野手は走った、内野手も走った、陣営|騒然《そうぜん》とみだれた、小原はあっけに取られてマスクをぬぎ捨てたまま本塁に立っている。
「ホームイン」
五大洲の一撃で一点を恢復《かいふく》した。このとき三塁の背後の松の枝高くらっぱの音が聞こえた。ついで気違《きちが》いじみた声!
「もくもく万歳! もくもく勝ったぞ」
「ぷうぷうぷうぽうぽうぷう」
らっぱは千三の伯父覚平で、叫んでるのは善兵衛である。
この声援と共にここにおどろくべき声援者が現われた、それは製粉会社の職工四、五十
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