とるつもりであった。だが先生の押す力がずっとひじにこたえる。
「弱いやつだ、青年がそれでどうする、米の飯を食わせておくのはおしいものだ、やい、いも虫、なき虫、わらじ虫!」
あまりしつこく虫づくしをいうのでおれもちょっと癪《しゃく》にさわった。
「いいですか、本気をだしますぞ」
「よしッ、虫けらの本気はどんなものか、へっぴり虫!」
「よしッ」
おれは満身の力をこめて一気に先生を押したおそうとした、先生の腕が少しかたむいた。
「いいかな」
先生はこういって、「うん」と一つうなった、たよたよとした細い腕はがきっと組んだまま大盤石《だいばんじゃく》!
「おやッ」
おれは頭を畳《たたみ》にすりつけ、左の掌《てのひら》で畳をしっかとおさえ肩先に力をあつめて押しだした。
「虫があばれるあばれる」と先生はげらげらわらった。おれはどうもふしぎでたまらない。負けるはずがないのだ。
「いいかな」
先生はこういっておれのこぶしをひた押しに倒してしまった。
おれは汗をびっしょりかいて、ふうふう息をはずませた。
「どうだ」
首を傾《かし》げてふしぎがってるおれの顔を見て先生はわらった。
「ふしぎですな」
「おまえはばかだ」
「なんといわれてもしようがありません」
「いよいよジャクチュウかな」
「ジャクチュウとはなんですか」
「弱虫だ、はッはッはッ」
「先生はどうして強いんですか」
「わしが強いんでない、おまえがジャクチュウなんだ」
「ぼくはそんなに弱いはずがないのです」
「おまえはどこに力を入れてるか」
「ひじです」
「腕をだしてみい」
先生のひょろひょろした青ざめた腕とおれのハチ切れそうに肥った円い赤い腕が並んだ。
「ひじとひじの力なら私の方がとてもかなわないはずじゃないか」と先生がいった。
「じゃ先生は?」
先生はにっこり笑って、胸の下を指さした。
「腹ですか」
「うむ、力はすべて腹から出るものだ、西洋人の力は小手先からでる、東洋人の力は腹からでる、日露戦争《にちろせんそう》に勝つゆえんだ」
「うむ」
「学問も腹だ、人生に処する道も腹だ、気が逆上《ぎゃくじょう》すると力が逆上して浮きたつ、だから弱くなる、腹をしっかりとおちつけると気が臍下丹田《せいかたんでん》に収《おさ》まるから精神爽快《せいしんそうかい》、力が全身的になる、中心が腹にできる、いいかおまえはへそをなんと思
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