悲しませるものは小学校時代にいつも先生にしかられていた不成績の子が、りっぱな中学生の服装で雑嚢《ざつのう》を肩にかけ徽章《きしょう》のついた帽子を輝かして行くのを見たときである。
「金持ちの家に生まれれば出来ない子でも大学までいける、貧乏人の子は学校へもいけない、かれらが学士になり博士になるときにもおれはやはり豆腐屋でいるだろう」
こう思うとなさけないような気が胸一ぱいになる。
「学校へいきたいな」
かれの帰り道は県庁の横手の小川の堤である、かれは堤の露草をふみふみぐったりと顔をたれて同じことをくりかえしくりかえし考えるのであった。
ときとしてかれは師範学校の裏手を通る、寄宿舎には灯影《ほかげ》が並んでおりおりわかやかな唱歌の声が聞こえる。
「官費でいいから学校へゆきたい」
こうも考える、だがかれはすぐそれをうちけす。かれの目の前に伯父覚平の老顔がありありと見えるのである。
「おれが働かなきゃ、みなが食べていけない」
そこでかれは夕闇に残る西雲の微明に向かってらっぱをふく。らっぱの音は遠くの森にひびき、近くのわらやねに反響してわが胸に悲しい思いをうちかえす。
ある日伯父の覚平は突然かれにこういった。
「千三、おまえ学校へゆきたいだろうな」
「いいえ」とチビ公は答えた。
「おれだっておめえを豆腐屋にしたくないんだ、なあ千三、そのうちになんとかするから辛抱《しんぼう》してくれ、そのかわりに夜学へいったらどうか、昼のつかれで眠たかろうが、一心にやればやれないこともなかろう」
「夜学にいってもいいんですか」
千三の目は喜びに輝いた。
「夜学だけならかまわないよ、お宮の近くに夜学の先生があるだろう」
「黙々《もくもく》先生ですか」
「うむ、かわり者だがなかなかえらい人だって評判だよ」
「こわいな」と千三は思わずいった。黙々先生といえば本名の篠原浩蔵《しのはらこうぞう》をいわなくとも浦和の人はだれでも知っている。先生はいま五十五、六歳、まだ老人という歳でもないが、頭とひげは雪のように白くそれと共に左の眉に二寸ばかり長い毛が一本つきでている、おこるときにはこの長い毛が上に動き、わらうときには下にたれる、町の人はこの毛をもって先生の機嫌のバロメーターにしている。
先生の履歴について町の人はくわしく知らなかった、ある人はかつて文部省の参事官であったといい、ある人は地方
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