ために善事をつくした。ここにおいてこの村は太平和楽になった。
巌は読むともなしにそれを読んだ。突然《とつぜん》かれの頭に透明な光がさしこんだ。かれは呼吸《いき》もつかずにもう一度読んだ。
「三害を除こう、おれは男だ」かれはこう叫んだ。
「おれに悪いところがあるならおれが改めればいい、お父様《とうさま》に悪いところがあるならおれがいさめて改めさせればいい、ふたりが善人になればこの町はよくなるのだ、南山にとらをうちにゆく必要もなければ長橋にりゅうをほふりにゆく必要もない、第一の害はおれだ、おれを改めて父を改める、それでいいのだ」
かれは立って室《へや》を一周した、得《え》もいえぬ勇気は全身にみなぎって歓喜の声をあげて高く叫びたくなった。
かれは窓を開いて外を見やった、すずしい風が庭の若葉をふいてすだれがさらさらと動いた、木々の緑はめざめるようにあざやかである。
「豆腐《とうふ》イ……」
らっぱの音と交代にチビ公の声が聞こえる。
「チビ公だ」かれは伸びあがってへいの外を見やった。
「とうふ[#「とうふ」に傍点]い――」
暑い日光をものともせず、大きなおけをにのうてゆくチビ公のすげ笠がわずかに見える。
「おれはあいつにあやまらなきゃならない」巌は脱兎《だっと》のごとくはだしのままで外へでた。そうして突然チビ公の前に立ちふさがった。
「青木! おい、堪忍《かんにん》してくれ、なあおいおれは悪かった、おれは今日から三害を除《のぞ》くんだ」
七
お宮のいちょうが黄色になればあぜにはすすき、水引き、たでの花、露草《つゆくさ》などが薄日《うすび》をたよりにさきみだれて、その下をゆくちょろちょろ水の音に秋が深くなりゆく。
役場の火事については町の人はなにもいわなくなった、阪井猛太は助役をやめてせがれの巌と共に川越《かわごえ》の方へうつった、中学校には新しい校長がきた。浦和の町は太平である。
チビ公はやはり一日も休まずに豆腐を売りまわった、それでも一家のまずしさは以前とかわりがなかった、かれは毎日らっぱをふいて町々を歩いているうちにいくどとなく昔の小学校友達にあうのである、中には光一のようにやさしい言葉をかけてくれるものもあるが、多くは顔をそむけて通るのである。チビ公としても先方の体面をはばかってそしらぬ顔をせねばならぬこともあった、とくにかれの心を
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