う問題じゃないよ、ただね、つまらないことは……」
「なにを?」
三年の群れからライオンとあだ名された木俣《きまた》という学生がおどりだした、木俣といえば全校を通じて戦慄《せんりつ》せぬものがない、かれは柔道がすでに三段で小相撲《こずもう》のように肥って腕力は抜群である、かれは鉄棒に両手をくっつけてぶらさがり、そのまま反動もつけずにひじを立ててぬっく[#「ぬっく」に傍点]とひざまでせりあげるので有名である。柔道のじまんばかりでなく剣道もじまんで、どうかすると短刀をふところにしのばせたり、小刀をポケットにかくしたりしている。
木俣がおどりだしたので人々は沈黙《ちんもく》した。
「おじぎをしたらゆるしてやるよ、なあおい」
とかれは同級生をふりかえっていった。
「三|遍《べん》まわっておじぎしろ」
光一はもうこの人達にかかりあうことの愚を知ったのでひきさがろうとした。
「逃げるかッ」
木俣は光一の手首をたたいた、筆記帳は地上に落ちて、さっとページをひるがえした。光一はだまってそれを拾いあげしずかに人群れをでた。むろんかれは平素人と争うたことがないのであった。
「弱いやつだ」
三年生は嘲笑《ちょうしょう》した。
「いったいこの犬はだれの犬だ」と木俣はいった。人々は手塚の顔を見た。
「ぼくのだ」
「てめえに似て臆病《おくびょう》だな」
「なにをいってるんだ」と手塚は負けおしみをいった。
「二年生は犬まで弱虫だということよ」
三年生は声をそろえてわらった。二年生はたがいに顔を見あったがなにもいう者はなかった。
「やっしいやっしい」と木俣はブルドッグのしりをたたいた。赤犬はおそろしい声をだして突進した、鹿毛《しかげ》は少ししりごみしたがこのときしゃもじがその首環《くびわ》を引いて赤犬の鼻に鼻をつきあてた、こうなると鹿毛もだまっていない、疾風《しっぷう》のごとく赤犬にたちかかった、赤は前足で受け止めて鹿毛の首筋の横にかみついた、かまれじと鹿毛は体をかわして赤の耳をねらった。一離一合《いちりいちごう》! 殺気があふれた。
二、三度同じことをくりかえして双方たがいに下手をねらって首を地にすえた。
「やっしいやっしい」
両軍の応援は次第に熱した。このとき二年生は歓喜の声をあげた。のそりのそり眠そうな目をこすりながら生蕃《せいばん》がやってきたからである。
「生蕃がきた」
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