せて、児《じ》を産みてよりは、世の常の婦人よりも一層《ひとしほ》女々《めゝ》しうなりしぞかし。左《さ》しも気遣《きづか》ひたりし身体には障《さは》りもなくて、神戸|直行《ちよくかう》と聞きたる汽車の、俄《には》かに静岡に停車する事となりしかば、其夜は片岡《かたをか》氏《し》の家族と共に、停車場《ステーシヨン》近《ちか》き旅宿に投じぬ。宿泊帳には故意《わざ》と偽名を書《しよ》したれば、片岡《かたをか》氏《し》も妾《せふ》をば景山英《かげやまひで》とは気付《きづ》かざりしならん。
五 一大事
 翌日岡山に到着して、なつかしき母上を見舞ひしに、危篤《きとく》なりし病気の、やう/\怠《おこた》りたりと聞くぞ嬉しき。久《ひさ》し振《ぶ》りの妾《せふ》が帰郷を聞《きゝ》て、親戚ども打寄《うちよ》りしが、母上よりは却《かへつ》て妾《せふ》の顔色の常ならぬに驚きて、何様《なにさま》尋常《じんじやう》にてはあらぬらし、医師を迎へよと口々に勧《すゝ》め呉れぬ。さては一大事、医師の診察によりて、分娩《ぶんべん》の事|発覚《はつかく》せば、妾《せふ》は兎も角、折角|怠《おこた》りたる母上の病気の、又はそれが為めに募《つの》り行きて、悔《く》ゆとも及ばざる事ともならん。死するも診察は受けじとて、堅く心に決しければ、人々には少しも気分に障《さは》りなき旨《むね》を答へ、胸の苦痛を忍び/\て、只管《ひたすら》母上の全快を祈る程に、追々《おひ/\》薄紙《はくし》を剥《は》ぐが如くに癒《い》え行きて、はては、床《とこ》の上に起き上られ、妾《せふ》の月琴《げつきん》と兄上の八雲琴《やくもごと》に和して、健やかに今様《いまやう》を歌ひ出で給ふ。
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春のなかばに病み臥《ふ》して、花の盛りもしら雲の、消ゆるに近かき老《おい》の身を、うからやからのあつまりて、日々にみとりし甲斐《かひ》ありて、病《やまひ》はいつか怠《おこた》りぬ、実《げ》に子宝の尊きは、医薬の効にも優《まさ》るらん、
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 滞在一週間ばかりにて、母上の病気全く癒《い》えければ、児《じ》を見たき心の矢竹《やたけ》にはやり来て、今は思ひ止《とま》るべくもあらねば、吾れにもあらず、能《よ》き程の口実を設けて帰京の旨《むね》を告げ、且つ妾《せふ》も思ふ仔細《しさい》あれば、遠からず父上母上を迎へ取り、膝下《しつか》に奉仕《ほうじ》することとなすべきなど語り聞《きこ》えて東京に帰り、先づ愛児の健《すこや》かなる顔を見て、始めて十|数日来《すうにちらい》の憂《う》さを霽《はら》しぬ。



底本:「日本の名随筆42 母」作品社
   1986(昭和61)年4月25日第1刷発行
   1988(昭和63)年1月20日第5刷発行
底本の親本:「妾の半生涯」岩波文庫、岩波書店
   1958(昭和33)年4月
入力:もりみつじゅんじ
校正:菅野朋子
2000年6月1日公開
2005年6月25日修正
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