「国を去って京に登る愛国の士、心を痛ましむ国会開設の期」雲や霞《かすみ》もほどなく消えて、民権自由に、春の時節がおっつけ来るわいな。」
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尋常の大津絵ぶしと異なり、人々民権論に狂《きょう》せる時なりければ、妾《しょう》の月琴《げっきん》に和してこれを唄《うた》うを喜び、その演奏を望まるる事しばしばなりき。これより先、十五歳の時より、妾は女の心得なかるべからずとて、茶の湯、生花《いけばな》、裁縫、諸礼、一式を教えられ、なお男子の如く挙動《ふるま》いし妾を女子らしからしむるには、音楽もて心を和《やわ》らぐるに若《し》かずとて、八雲琴《やくもごと》、月琴などさえ日課の中に据えられぬ。されば妾は毎日の修業それよりそれと夜《よ》に入るまでほとんど寸暇とてもあらざるなりき。
三 縁談《えんだん》
十六歳の暮に、ある家より結婚の申し込みありしかど、理想に適《かな》わずとて、謝絶しければ、父母も困《こう》じ果てて、ある日|妾《しょう》に向かい、家の生計意の如くならずして、倒産の憂《う》き目さえやがて落ちかからん有様なるに、御身《おんみ》とて何時《いつ》までか父母の家に留《とど》まり得べき、幸いの縁談まことに良縁と覚ゆるに、早く思い定めよかしと、いと切《せ》めたる御言葉《おんことば》なり。その時妾は母に向かいこれまでの養育の恩を謝して、さてその御恵《おんめぐ》みによりてもはや自活の道を得たれば、仮令《たとい》今よりこの家を逐《お》わるるとも、糊口《ここう》に事を欠くべしとは覚えず。されど願うは、ただこのままに永《なが》く膝下《しっか》に侍《じ》せしめ給え、学校より得る収入は悉《ことごと》く食費として捧《ささ》げ参《まい》らせ聊《いささ》か困厄《こんやく》の万一を補わんと、心より申し出《い》でけるに、父母も動かしがたしと見てか、この縁談は沙汰止《さたや》みとなりにき。
ああ世にはかくの如く、父兄に威圧《いあつ》せられて、ただ儀式的に機械的に、愛もなき男と結婚するものの多からんに、如何《いか》でこれら不幸の婦人をして、独立自営の道を得せしめてんとは、この時よりぞ妾が胸に深くも刻《きざ》み付けられたる願いなりける。
結婚|沙汰《ざた》の止《や》みてより、妾は一層学芸に心を籠《こ》め、学校の助教を辞して私塾を設立し、親切|懇到《こんとう》に教授しければ、
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