、わが苦悶の回顧。
 顧《おも》えば女性の身の自《みずか》ら揣《はか》らず、年|少《わか》くして民権自由の声に狂《きょう》し、行途《こうと》の蹉跌《さてつ》再三再四、漸《ようや》く後《のち》の半生《はんせい》を家庭に托《たく》するを得たりしかど、一家の計《はかりごと》いまだ成らざるに、身は早く寡《か》となりぬ。人の世のあじきなさ、しみじみと骨にも透《とお》るばかりなり。もし妾のために同情の一掬《いっきく》を注《そそ》がるるものあらば、そはまた世の不幸なる人ならずばあらじ。
 妾《しょう》が過ぎ来《こ》し方《かた》は蹉跌《さてつ》の上の蹉跌なりき。されど妾は常に戦《たたか》えり、蹉跌のためにかつて一度《ひとたび》も怯《ひる》みし事なし。過去のみといわず、現在のみといわず、妾が血管に血の流るる限りは、未来においても妾はなお戦わん。妾が天職は戦いにあり、人道の罪悪と戦うにあり。この天職を自覚すればこそ、回顧の苦悶、苦悶の昔も懐《なつ》かしくは思うなれ。
 妾の懺悔《ざんげ》、懺悔の苦悶これを愈《いや》すの道は、ただただ苦悶にあり。妾が天職によりて、世と己《おの》れとの罪悪と戦うにあり。
 先に政権の独占を憤《いきどお》れる民権自由の叫びに狂せし妾は、今は赤心《せきしん》資本の独占に抗して、不幸なる貧者《ひんしゃ》の救済に傾《かたむ》けるなり。妾が烏滸《おこ》の譏《そし》りを忘れて、敢《あ》えて半生の経歴を極《きわ》めて率直に少しく隠す所なく叙《じょ》せんとするは、強《あなが》ちに罪滅ぼしの懺悔《ざんげ》に代《か》えんとには非《あら》ずして、新たに世と己れとに対して、妾のいわゆる戦いを宣言せんがためなり。
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  第一 家庭


 一 贋《まが》いもの

 妾《しょう》は八、九歳の時、屋敷内《やしきうち》にて怜悧《れいり》なる娘と誉《ほ》めそやされ、学校の先生たちには、活発なる無邪気なる子と可愛がられ、十一、二歳の時には、県令学務委員等の臨《のぞ》める試験場にて、特に撰抜せられて『十八史略』や、『日本外史』の講義をなし、これを無上の光栄と喜びつつ、世に妾ほど怜悧なる者はあるまじなど、心|私《ひそ》かに郷党《きょうとう》に誇りたりき。
 十五歳にして学校の助教諭を托せられ、三円の給料を受けて子弟を訓導するの任に当り、日々勤務の傍《かたわ》ら、復習を名として、数十
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