の書窓《しょそう》を驚かしぬ。我が当局の軟弱無気力にして、内は民衆を抑圧するにもかかわらず、外《ほか》に対しては卑屈これ事とし、国家の恥辱《ちじょく》を賭《と》して、偏《ひとえ》に一時の栄華を衒《てら》い、百年の患《うれ》いを遺《のこ》して、ただ一身の苟安《こうあん》を冀《こいねが》うに汲々《きゅうきゅう》たる有様を見ては、いとど感情にのみ奔《はし》るの癖《くせ》ある妾は、憤慨の念燃ゆるばかり、遂《つい》に巾幗《きんこく》の身をも打ち忘れて、いかでわれ奮い起ち、優柔なる当局および惰民《だみん》の眠りを覚《さま》しくれでは已《や》むまじの心となりしこそ端《はし》たなき限りなりしか。

 四 当時の所感

 ああかくの如くにして妾《しょう》は断然書を擲《なげう》つの不幸を来《きた》せるなりけり。当時妾の感情を洩《も》らせる一片《いっぺん》の文《ぶん》あり、素《もと》より狂者《きょうしゃ》の言に近けれども、当時妾が国権主義に心酔し、忠君愛国ちょう事に熱中したりしその有様を知るに足るものあれば、叙事の順序として、左《さ》に抜萃《ばっすい》することを許し給え。こは大阪未決監獄入監中に起草せるものなりき。妾はここに自白す、妾は今貴族豪商の驕傲《きょうごう》を憂うると共に、また昔時《せきじ》死生を共にせし自由党有志者の堕落軽薄を厭《いと》えり。我ら女子の身なりとも、国のためちょう念は死に抵《いた》るまでも已《や》まざるべく、この一念は、やがて妾を導きて、頻《しき》りに社会主義者の説を聴くを喜ばしめ、漸《ようや》くかの私欲私利に汲々《きゅうきゅう》たる帝国主義者の云為《うんい》を厭わしめぬ。
 ああ学識なくして、徒《いたずら》に感情にのみ支配せられし当時の思想の誤れりしことよ。されどその頃の妾は憂世《ゆうせい》愛国の女志士《じょしし》として、人も容《ゆる》されき、妾も許しき。姑《しば》らく女志士として語らしめよ。

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   獄中《ごくちゅう》述懐《じゅっかい》([#ここから割り注]明治十八年十二月十九日大阪未決監獄において、時に十九歳[#ここで割り注終わり])
元来|儂《のう》は我が国民権の拡張せず、従って婦女が古来の陋習《ろうしゅう》に慣れ、卑々屈々《ひひくつくつ》男子の奴隷《どれい》たるを甘《あま》んじ、天賦《てんぷ》自由の権利あるを知らず己《おの》れがた
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