りあんどん》の如くにぞ胸に往《ゆ》き来《こ》う。我が家に近き町はずれよりは、軒《のき》ごとに紅燈《こうとう》の影美しく飾られて宛然《さながら》敷地祭礼の如くなり。これはた誰《たれ》がための催しぞと思うに、穴にも入りたき心地ぞする、死したらんにはなかなか心易かるべしとも思いぬ。アアかかる款待《かんたい》を受けながら、妾が将来は如何《いか》に、重井《おもい》と私《ひそ》かに結婚を約せるならずや、そも妾は如何にしてこの厚意に報いんとはすらんなど、人知れず悶《もだ》え苦しみしぞかし。
四 大評判
我が家にては親戚故旧を招きて一大盛宴を張りぬ。絃妓《げんぎ》も来り、舞子も来りて、一家狂するばかりなり。宴終りて後《のち》、種々しめやかなる話しも出で、暁《あかつき》に至りて興はなお尽きざりき。七年の来《こ》し方《かた》を、一夜に語り一夜に聴かんと※[#「二点しんにょう+(山/而)」、第4水準2−89−92]《はや》れるなるべし。
明《あ》くれば郷里の有志者および新聞記者諸氏の発起《ほっき》にかかる慰労会あり、魚久《うおきゅう》という料理店に招かれて、朝鮮鶴の料理あり、妾らの関係せしかの事件に因《ちな》めるなりとかや。かくて数日《すじつ》の間は此処《ここ》の宴会|彼処《かしこ》の招待に日も足らず、平生《へいぜい》疎遠なりし親族さえ、妾を見んとてわれがちに集《つど》い寄るほどに、妾の評判は遠近に伝わりて、三歳の童子すらも、なお景山英《かげやまひで》の名を口にせざるはなかりしぞ憂き。
五 内縁
それより一、二カ月を経て、東京より重井ら大同団結遊説のため阪地《はんち》を経て中国を遊説するとの報あり。しかして妾には大阪なる重井の親戚《しんせき》某方《ぼうかた》に来りくるるようとの特信ありければ、今は躊躇《ちゅうちょ》の場合に非ずと、始めて重井との関係を両親に打ち明け、かつ今仮に内縁を結ぶとも、公然の批露《ひろう》は、ある時機を待たざるべからず、そは重井には現に妻女のあるあり、明治十七年以来発狂して人事を弁《わきま》えず、余儀なく生家に帰さんとの内意あれども、仮初《かりそ》めならぬ人のために終身の謀《はかりごと》だになしやらずして今急に離縁せん事思いも寄らず。されば重井もその職業とする弁護事務の好成績を積み、その内大事件の勝訴となりて数万《すまん》の金《きん》を得ん時、彼に
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