》座敷が座敷だけ秋子は先刻《せんこく》逃水「らいふ、おぶ、やまむらとしお」へ特筆大書すべき始末となりしに俊雄もいささか辟易《へきえき》したるが弱きを扶《たす》けて強きを挫《くじ》くと江戸で逢ったる長兵衛殿を応用しおれはおれだと小春お夏を跳ね飛ばし泣けるなら泣けと悪《あく》ッぽく出たのが直打《ねうち》となりそれまで拝見すれば女|冥加《みょうが》と手の内見えたの格をもってむずかしいところへ理をつけたも実は敵を木戸近く引き入れさんざんじらしぬいた上のにわかの首尾|千破屋《ちはや》を学んだ秋子の流眄《ながしめ》に俊雄はすこぶる勢いを得、宇宙広しといえども間違いッこのないものはわが恋と天気予報の「ところにより雨」悦気面に満ちて四百五百と入り揚げたトドの詰りを秋子は見届けしからば御免と山水《やまみず》と申す長者のもとへ一応の照会もなく引き取られしより俊雄は瓦斯《がす》を離れた風船乗り天を仰いで吹っかける冷酒《ひやざけ》五臓六腑へ浸み渡りたり
 それつらつらいろは四十七文字を按《あん》ずるに、こちゃ登り詰めたるやまけの「ま」が脱《ぬ》ければ残るところの「やけ」となるは自然の理なり俊雄は秋子に砂浴びせられたる一旦の拍子ぬけその砂|肚《はら》に入ってたちまちやけの虫と化し前年より父が預かる株式会社に通い給金なり余禄《よろく》なりなかなかの収入《とりくち》ありしもことごとくこのあたりの溝《みぞ》へ放棄《うっちゃ》り経綸《けいりん》と申すが多寡が糸扁《いとへん》いずれ天下《てんが》は綱渡りのことまるまる遊んだところが杖《つえ》突いて百年と昼も夜ものアジをやり甘い辛いがだんだん分ればおのずから灰汁《あく》もぬけ恋は側《はた》次第と目端が利《き》き、軽い間に締りが附けば男振りも一段あがりて村様村様と楽な座敷をいとしがられしが八幡鐘《はちまんがね》を現今《いま》のように合乗り膝枕《ひざまくら》を色よしとする通町辺《とおりちょうへん》の若旦那に真似のならぬ寛濶《かんかつ》と極随《ごくずい》俊雄へ打ち込んだは歳二ツ上の冬吉なりおよそここらの恋と言うは親密《ちかづき》が過ぎてはいっそ調《ととの》わぬが例なれど舟を橋際に着けた梅見帰りひょんなことから俊雄冬吉は離れられぬ縁の糸巻き来るは呼ぶはの逢瀬繁く姉じゃ弟《おとと》じゃの戯《たわ》ぶれが、異なものと土地に名を唄《うた》われわれより男は年下なれば色にはままになるが冬吉は面白く今夜はわたしが奢《おご》りますると銭金を帳面のほかなる隠れ遊び、出が道明《どうみょう》ゆえ厭かは知らねど類のないのを着て下されとの心中立《しんじゅうだ》てこの冬吉に似た冬吉がよそにも出来まいものでもないと新道《しんみち》一面に気を廻し二日三日と音信《おとずれ》の絶えてない折々は河岸《かし》の内儀へお頼みでござりますと月始めに魚一|尾《ひき》がそれとなく報酬の花鳥使《かちょうし》まいらせ候《そろ》の韻を蹈《ふ》んできっときっとの呼出状今方貸小袖を温習《さらい》かけた奥の小座敷へ俊雄を引き入れまだ笑ったばかりの耳元へ旦那のお来臨《いで》と二十銭銀貨に忠義を売るお何どんの注進ちぇッと舌打ちしながら明日《あした》と詞|約《つが》えて裏口から逃しやッたる跡の気のもめ方もしや以前の歌川へ火が附きはすまいかと心配ありげに撲《はた》いた吸殻、落ちかけて落ちぬを何の呪《まじな》いかあわてて煙草を丸め込みその火でまた吸いつけて長く吹くを傍らにおわします弗函《どるばこ》の代表者顔へ紙幣《さつ》貼《は》った旦那殿はこれを癪気《しゃくき》と見て紙に包《くる》んで帰り際に残しおかれた涎《よだれ》の結晶ありがたくもないとすぐから取って俊雄の歓迎費俊雄は十分あまえ込んで言うなり次第の倶浮《ともうか》れ四十八の所分《しょわけ》も授かり融通の及ぶ限り借りて借りて皆持ち寄りそのころから母が涙のいじらしいをなお暁に間のある俊雄はうるさいと家を駈《か》け出し当分冬吉のもとへ御免|候《さぶら》え会社へも欠勤がちなり
 絵にかける女を見ていたずらに心を動かすがごとしという遍昭《へんじょう》が歌の生れ変り肱《ひじ》を落書きの墨の痕《あと》淋漓《りんり》たる十露盤《そろばん》に突いて湯銭を貸本にかすり春水翁《しゅんすいおう》を地下に瞑《めい》せしむるのてあいは二言目には女で食うといえど女で食うは禽語楼《きんごろう》のいわゆる実母散《じつぼさん》と清婦湯《せいふとう》他は一度女に食われて後のことなり俊雄は冬吉の家へ転《ころ》げ込み白昼そこに大手を振ってひりりとする朝湯に起きるからすぐの味を占め紳士と言わるる父の名もあるべき者が三筋に宝結びの荒き竪縞《たてしま》の温袍《どてら》を纏《まと》い幅員わずか二万四千七百九十四方里の孤島に生れて論が合わぬの議が合わぬのと江戸の伯母御《おばご》を京で尋ね
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