ない。流行を逐うこと唯その事を新体制として、真の新体制が未来の、少くとも来りつつある世界の大勢を察して、これに適応せんとする態度なることを知らず、僭越にも彼等みずからを以て新体制の人なりとしている。彼等は後退せんとし、我は前進せんとしている。彼等は保守的にして、我は進取的である。
 従って彼等は国家主義者、民族対立主義者であって、コスモポリタンなる我を解する能わず、国家または民族の一員としてその義務を尽すに忠実なりと雖も、「恭倹己を持し、博愛衆に及ぼす」超国家的、超民族的にして、彼等のいうところ「八紘一宇」の一大理想その物を、かえってみずから破壊せんとしている。
 人類として、彼等は固より良心的にこれを知る。だが詭弁を弄して云う、かかる超国家的、超民族的なる時代は恐らくは永久に到達せざるべしと。或は然らん。だが、それ故にこそ、我はかえってこの理想を掲げて進むのである。人間にして動物の如く教うべからざれば則ちやむ、教え得れば、教え教えて、彼等をこの境地に進め入らしむるのは決して不可能ではない。原始人が教育と経験とを通して、如何にして今日の文明人となったかの跡をたずぬれば、想い半に過ぐる。
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