科学的新聞記者
桐生悠々

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【テキスト中に現れる記号について】

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 人はこの語の意味する明瞭なる理念を知るものは稀であるが、屡宇宙という語を口にする。だが、宇宙に関する近代的理念は思ったよりも空漠である。この空漠性は最近の世紀に於ける包括的思索が欠けているからである。その原因は、統一された中世紀の文明崩壊に次いで、極度の個人主義が跋扈したからである。紀元後千三百年頃には、人は明に、また大に信じて、彼の宇宙に関する理念を語り得た。その後、知識は駸々乎として長大足の進歩を示し、宇宙に関する中世紀の理念は不完全となり、当時の包括的思索も終に信ぜられざるに至った。人は細密なる特殊事項を研究することに一変し、ヴェサリウス、ガリレオ及びギルバート等が、初めて近代的なる科学的方法を以て、特性的なる論文を発表しつつあった。そしてここ四百年間は、一般性から特殊性への一反動があった。
 文明が長足の進歩を遂げ、社会の機構が急遽に変化しつつあるので、包括的なる宇宙の理念を考えることは、今困難である。近時の歴史はこの反動が極端となったことを示しているようである。今や到るところに於て、人は特殊性に没頭して、一般性を忘却ししかも、かかる態度を示すことを以て、賢明のしるしともしている。生物学の意見を述べる物理学者は小犯罪を犯すものと見られ、賢明に芸術を研究する実業家の商業的敏捷性もまた疑われつつある。人は人類の利益のために働くよりも寧ろ彼等みずからの、またその国家の利益を専門として考えているので、大戦争が頻々として起る。ここ四百年間の人の努力は専門化の一競争に狭められ、典型者は唯それ彼の仕事にのみ熱中して、間接に関係ある殆ど一切の他のものに無智である。四百年前には専門化という新観念は神聖であって、これに次いだ世紀の驚異的なる運動と企画とを発見したほどの輝しい光を発していた。そして包括性という旧観念は漸次に衰退して、専門化によって得られた並立しない知識の堆積中にうずもれている。科学も、産業も、スポーツも、いずれも燦然として光を放っているが、役には立たない。人は今宇宙を見んとする慣習を再学しなければならない。材料は中世紀と比較にならないほど豊富であって、驚くべき視覚を鼓吹するこの慣習が再来すれば、産業界及び政治界に於ける近代の乱雑なる情勢は忍ぶべからざる空虚なものとなり、人は科学的理論に於けるが如く、社会の機構に於て、優雅性を必要とするだろう。宇宙が明瞭に見られるならば、社会もまた明瞭に見られ、そしてその不健全性も明となって、排除されるだろう。

 だから、科学的新聞という技術が必要である。かかる技術はまだ存在していないけれども、その性質の如何なるものなるかを知って置く必要がある。科学的新聞の機能は最近の科学的研究の雰囲気と事実とを民衆に知らしむるにある。就中その雰囲気を知らしむることが、重要なる役割である。事実の正確は願わしいものであるけれども、雰囲気の正確に比すれば、さほど重要なるものではない。現在の科学的新聞は主として彼等のポケットマネーを得んとする科学者によって、または研究に没頭するには余りに年取った科学者によって行われている。従って彼等の仕事は離ればなれであって、先ず彼等の動機にもとづくスタイルに欠点があり、次に、墓場に近づいているものを感動せしむる精神的なるデコンセントレーションがある。これらの典型的なる科学的新聞記者は彼等の仕事を娯楽と宗教との用語で考えているけれど、本来の技術としては、科学的新聞は社会的なるものである。それは産業に科学を応用することによって創造された文明の機構に必要なるささえである。
 科学の雰囲気が一般的に理解されなければ、近代の社会は崩壊する。将来の社会は恐らくば科学の各分派に於ける雰囲気と、主要なる事実を簡単に示し、そして記者の意見に拘泥しない非個人的新聞を必要とするだろう。科学者に接触したものは、如何なる者でも、最近の科学的仕事の一般的説明が、如何に屡研究者の態度ではなくて、如何に事実を与うるにあることを知るだろう。例えば、今日の学理的物理学の指導者は、約三十歳の人であり、その思想は約五十歳またはもっと年取った人々によって拡張されたものであって、これらの広く読まれた説明は若い創造的思想家の心理を示していない。ハイゼンベルクとディラークとの革命的にして、困苦な、輝かしい報知は神秘主義を産まない。それは創造的なものが非創造的なものに対して刺戟を与えたための成長である。
 神秘主義は理解し能わざる者の産物であり、理会の代用品であり、哲学のマルガリンである。科学的新聞記者の態度は創造的労作者のそれを学び、これらの労作
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