て、政府の提灯を持っているだけである。そして彼等は矛盾極まる統制の名の下に、これを彼等の職域奉公と心得ている。
 今日の新聞は全然その存在理由を失いつつある。従って人はこれを無くもがなのものとしているけれども、他に代ってその機能を果たすものなきが故に、彼等は已むを得ずなおこれを購読しつつある。偶H・G・ウェルズの如き、公民としてかかる新聞を購読するは義務に反するが故に、そのボイコットを示唆するものがあっても、他にこれに代わるものがなければ、不用の物も有用化されつつあるのが、今日のだらしない状態である。
 将来の新聞は科学的でなくてはならない。現在に於て、全くその態度を一変しても、決して早くはあるまい。ローゼンベルヒの「二十世紀の神話」こうした空虚の思想に魅せられて、昭和の科学的時代を神秘化せんとするに至っては、沙汰の限である。神秘主義は理解し能わざる者の産物であり、理会の代用品であり哲学のマルガリンである。いずれにしても、本物ではなく贋物である。
 将来の(現在でも決して早くはない)新聞記者は創造的作者であらねばならない。六十歳の、またこれよりも、もっと年取ったものの言に聴いて、神秘主義を尊奉するに至っては、その存在理由を失うのは明である。見よ、彼等は既にその存在理由を失わんとしつつある。試みに街頭に出て、民衆の言うところを聞け、彼等は殆んど挙げて今日の新聞紙を無用視しつつあるではないか。[#地から1字上げ](昭和十六年九月)



底本:「畜生道の地球」中公文庫、中央公論社
   1989(平成元)年10月10日発行
底本の親本:「畜生道の地球」三啓社
   1952(昭和27)年7月
入力:門田裕志
校正:Juki
2005年6月10日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全4ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
桐生 悠々 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング