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十二月二十八日。日暮里逸見氏にて、岡田霊に逢ふ。是れ予が三十七年春神田青年会館の演説に於て学生に告げたる予言に応ふるの思あり。果して然らん。
 夜、古河町に帰着。
二十九日。古河町及野渡の白米商に代金皆済。
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 この岡田虎二郎と云ふ人に逢つたと云ふ一事は、田中翁の生涯に取つて、極めて大切な事であつたと僕は見る。この人は僕自身に取ても実に再生の恩師であるが、僕にはこの人を語る力が無い。この人の名の語られる時が来るであらう。語る人が出るであらう。

   臨終

 翁は山川視察の途次、大正二年八月三日、下野国足利郡吾妻村字下羽田なる庭田清四郎と云へる農家で、遂に病床の人となつた。
 君よ。言ひたい事は河の如く際限無いが、一切を棄てゝ直にその日を語る。
 九月四日、晴朗な初秋の朝空、僕は翁の顔をのぞき込んで朝の挨拶をした。
『如何です』
 翁は枕に就いたまゝ軽く首肯いたが、やがて、
『これからの日本の乱れ――』
 かう言ひながら眉の間に深い谷の如き皺を刻んで、全身やゝ久しく痙攣するばかりの悩み。
 時は正午、日はうらゝかに輝いて、庭上の草叢には虫が鳴いて居る。
 翁は起きると言ふ。僕は静かに抱き起したまゝ殆ど身も触るばかり背後に坐つて守つて居た。夫人の勝子六十何歳、団扇を取つて前へ廻つて、ヂツと良人の面を見つめて軽く扇いで居る。
 翁は端然と大胡坐をかいて、頭を上げて、全身の力を注いで、強い呼吸を始めた。五回六回七回――十回ばかりと思ふ時、「ウーン」と一声長く響いたまゝ――
 瞬きもせずに見つめて居た勝子夫人が、
『お仕舞になりました』
と、しとやかに告げた。
 翁が所持の遺品と言うては、菅の小笠に頭陀袋のみ。翌晩遺骸の前に親戚の人達が円く坐つて、頭陀袋の紐を解いた。
 小形の新約全書。日記帳。鼻紙少々。
 僕は取り敢へず日記帳を押し戴いて、先づ絶筆の頁を開けて見た。
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「八月二日。悪魔を退くる力なきは、其身も亦悪魔なればなり。已に業に其身悪魔にして悪魔を退けんは難し。茲に於てか懺悔洗礼を要す」
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 享年七十又三。
[#地から1字上げ]〔『中央公論』昭八・九〕



底本:「近代日本思想大系 10 木下尚江集」筑摩書房
   1975(昭和50)年7月20日初版第1刷発行
初出:「中央公論」
   1933(昭和8)年9月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:林 幸雄
校正:小林繁雄
2006年7月24日作成
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