『いやはや』
と言うて、翁は両手で頭を叩いた。
 翁の歿後、僕は直訴状の本物を見たいと思つた。幸徳の書いた上へ翁が筆を入れた本物を見たいと思つた。何処にか存在するに相違ないと、窃かに心当りを尋ねて居ると、それが一度田中家の養女になつたことのある、翁の実の姪に当る原田武子さんが持つて居ることがわかつた。美濃半紙に書いて、元は簡単に紙ヨリで綴つてあつたものを、立派に表装して巻物になつて居る。筆者を偲んでその肉筆に対すると、見たゞけで、胸に熱気が動く。
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「草莽の微臣田中正造、誠恐誠惶、頓首頓首、謹で奏す。伏て惟るに、臣田間の匹夫、敢て規を踰へ法を犯して鳳駕に近前する、其罪実に万死に当れり。――伏て望むらくは、陛下深仁深慈、臣が狂愚を憐みて、少しく乙夜の覧を垂れ給はん事を」
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 これが冒頭の原文だ。すると、翁の神経にこの「狂愚」の一語が触れたものと見え、狂の一字を墨で消して「至愚」と修正してある。これを見て僕は様々な事を思ひ出した。翁が始めて直訴を行つた時、世間はこの事件の成行を懸念して重大視した。然るにたゞ一夜警察署に泊まつたのみで、翌日翁は仔細なく解放された。世間は再びその案外の軽易に驚いた。これは政府側の熟慮の結果で、「狂人」として取扱つたものだ。以後、田中正造の言行一切が「狂人」として無視されることになつてしまつた。
『政府の野郎、この田中を狂人にしてしまやがつた』
と言つて、翁は、笑ふにも笑はれず怒るに怒られず、その奸智に嘆息されたことを、僕は覚えて居る。
 僕は翁の直訴には終始賛成することが出来なかつたが、その行き届いた用意を聴くに及んで、深き敬意を抱くやうになつた。
『若し天皇の御手元へ書面を直接差出すだけならば、好い機会が幾らもある。議会の開院式の時に行れば、何の造作も無い事だ。然しながら、議員の身でそれを行つたでは、議員の職責を侮辱すると云ふものだ――』
 翁は粛然として曾てかう語つた。
 武子さんの話を聞くと、用談云々の端書が来たので、直訴の前夜、芝口の宿屋へ尋ねて行つたさうだ。行つて見ると、別に用談の景色も無い。翁は目を閉ぢて独り何か冥想して居るのみで、さしたる用事のあるでも無いらしい。帰らうとすると、『も少し居よ』と言うて留める。けれど何の話があるでも無い。夜が更けるので、遂に立つて帰つた。
『私が帰つ
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