て三十四歳、青天白日の身となりて、久々にて故郷へ帰つて見れば、母はこの三月九日に亡き人の籍に入つて居た。翁に取て如何ばかり悔恨の痛事であつたことぞ。
君よ。僕は田中翁が一身を政治運動に投じた動機に就て、君の深き理解を求める為め、自叙伝の草稿からその一二節を抜書きする。
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「明治八年、正造、隣村酒屋の番頭となり、家族及親戚朋友の為に自ら模範者となり、樽拾ひまでに尽力せり。一日、夏天、黒雲低く暴雨来らんとす。馬に石灰を積みたる馬丁、店頭に銅貨二銭を投じて酒を出せよと叫ぶ。正造其馬を見れば、背に汗して淋漓たり。正造おもへらく、今雨来らば此馬や病気せんに、憎むべき馬丁よと。依て汝は何人の雇人なりやと問ふ。馬丁答へて、此方は足利郡稲岡村武井の作方奉公人なりと。正造更に、汝の名を言へ、汝は、馬は主人のなれば、今将に雨降らんとするに不拘酒を呑まんとす。馬の汗かきたるを知らざるか、汗かきたる背に雨をうたせば馬は忽ち病気せん。主人の荷、主人の馬、汝之を愛せざるか。明日主人に、此旨を通ずべし、と罵りければ、馬丁の恐怖一方ならず、二銭の銭を取戻して、酒を呑まずに馬に鞭打ちて出て行きける。偖て此話の広く伝はりて、正造は酒屋の番頭には不適当なりとの誹謗攻撃至らざるなく、終に主人茂平も正造に暇を出すの都合とはなれり――」
「十年、西南戦乱に伴ふ紙幣濫発の事あり。予思へらく、物価必ず騰貴せんと。乃ち十年前六角家事件にて貧困せる正義派の疲弊を回復せん為め、勧めて田畑を買入れしめんとす。皆な冷笑して曰く、正造既に産を破つて且つ世事に疎し、酒屋の番頭を勤むる二年、僅に差引勘定を学べるに過ぎず、彼が経済の空論信ずるに足らずと。是に於て予は自ら成敗を試みて朋友に示さんと欲し、父妻に謀て、土蔵納屋を始め、父祖伝来のガラクタ道具を売却し、姉妹の財をも借り加へて僅に五百両にまとめ、病床に在て徐々に近傍の田畑を買入れたり。未だ数月ならずして地価は俄に上騰し、二倍となり四倍となり六倍七倍となり、遂に十倍以上となりて、容易に三千余円を儲け、以て父祖の財産を復し得たり。父祖の財産復旧す。予思へらく、普通脳力を有する者ならんには、一方に営利事業にたづさはり、一方に政治の事に奔走するを得べきも、如何せん予が脳力偏僻にして之に堪へず。如かず、一刀両断、一身一家の利益を抛つて政治改良の事に専らならんには
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