衛門と云へる同志が二本の鰹節を杖とも柱とも頼みて、生命を一縷の間に繋ぐこと三十日に及びぬ。」
「在獄すでに十個月と二十日。第四回の訟廷は開かれて、左の如き判決を受けぬ。即ち予は、
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『領分を騒がし、身分柄にも有るまじき容易ならざる企を起し、僣越の建白をなせしは、不届の至なるに依り、厳重に仕置申付くべきの処、格別の御慈悲を以て、一家残らず領分永の追放を申付くるもの也。』
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と申渡を受け――此に於て一件全く落着を告げたるが、此事件の起りてより前後五年の久しきに亙り、村々名主等苟も此事件に関係あるもの、其間の運動費に巨額の金銭を投じたれば、落着後或は田畑を売り或は家屋敷を売り、妻子眷属また為めに離散するの惨状を見るに至れり。」
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 翁が六角の獄舎を出て見れば、世は既に明治二年と云ふ新時代になつて居た。二十九歳。領内追放の判決に従て、一細流を距てた隣村、井伊掃部頭の飛び領地堀米村の地蔵堂に閑居して、暫くは村の小児等に手習算術など教へて居たが、勉学の雄志に駆られて東京へ出た。それから妙な因縁で、翌三年に一小吏となつて奥羽の山奥花輪と云ふ所へ赴任したが、こゝで図らず同僚殺人の嫌疑を受けて、四ヶ年に亙る惨酷な牢獄生活を嘗めた。
 君よ。たとひ明治時代とはいへ、法律は尚ほ拷問取調の時代であつたことを念頭に置いて呉れ。翁の自筆の文章から、当時拷問の実状を話して見たい。
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「――予は再び口を開き、弾正台は今尚ほ隣県山形にあり。(当時弾正台と云ふ巡廻裁判があつたのだ)今一たび此の審問を受けたし、何卒片時も早く御計らひ下されたしと願ひたるに、聴訟吏は何思ひけん。忽ち赫と怒り、せき込み、直に拷問に掛けたり。疑の点を糺すにはあらで、無法にも拷問の器械をば用ひたり。其は算盤責めと云うて、木を以て製し、仰向に歯を並べたる上に、膝をまくりて坐せしめ、膝の上に重量五貫目の角石を三つ積み重ね、側より獄吏手を以て之を揺り動かす。脛はミリミリ破る。予は大喝『何故拷尋の必要ある』と。石は取り除けられぬ。痛みは反動して、脛を持ち去らるゝが如し。漸く獄吏に引立てられて獄に帰り、案外なる無法の処置に呆れたり。」
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 始め、花輪支庁から足にはカセを打たれ、高手小手に縛められ、五十里の山路を四日、牢籠に封じ
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