志者」と云ふ恩人の為めに苦められて居るのを実見した。
翁は今年七十だ。然かし体躯《からだ》は以前《まえ》よりも遙かに健康《よく》なられた。直訴の時分には車が無ければ歩行事《あるくこと》出来なかつた人が、今では腕車《くるま》を全廃されたと云ふ。顔の皺も近頃は美しく延びて、若々となられた。
『六十の翁は義人であつた。けれど七十の翁は既に聖者の域だ』。
予は斯う思ひながら、団扇《うちわ》を取て顔の蝿を払つて居た。
日の西に傾いた頃、翁はポカリと目を覚まして、是れから番丁へ行くと言はれる。予は一泊を勧めて見たが、明日村へ帰へらねばならぬからと言はれゝば、強いて引き留めるわけにもならぬ。
翁は障子口に坐つたまゝ、太い腕を背後《うしろ》へ廻しながら、
『深呼吸と運動とで、リヨウマチも先づ/\退治て仕舞いました』
と言はれる。
『どうです。一つ静坐《すわ》つて御覧になつては。貴方などは一度で直ぐ御わかりになりませう。自己流では失張駄目です。今夜お泊りになつて、一度岡田さんにお逢いになつては』
と、予は勧めて見た。翁も一寸考えて居られたが、
『村の用事が重なつて居るんで』
と、首を傾けなさる。
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