み入る程丁寧な挨拶。其の初めて上げた顔に二つ剥き出した茶色の大眼球、予は今も判然と覚えて居る。
其時翁は風呂敷包から新聞の切抜を取り出して、予の視察記に就て語り始めた。予の視察記は既に十日の余も続いて居た。が、翁は今朝《けさ》人から注意されて始めて読んだと云ふのであつた。然う言ふ彼れの眉根は、昼夜奔走の多忙を明白に物語つて居た。足尾の山の烟毒の防備が全然無効であることを、会社の分析表で説明した記事を指して、彼は厚く礼を言ふた。二年前の鉱毒防禦工事で問題は既に解決されたものと云ふ政府の答弁に対し、彼は其の無効を怒号しつゝあつたので、予の記事が、彼の議論に証拠資料を供給したのであろう。此日は二三十分で帰つて行かれた。
二
翁は間もなく議員までも止めて、而して日比谷の路傍に最後手段の直訴に及んだ。『鉱毒は田中の政略さ』と嘲つた人々は、失張此の直訴までも、『芝居を演《や》つたナ』と冷笑して居た。
此の後だ。予は潮田さんの御伴をして、翁の案内で渡良瀬沿岸の鉱毒地を、一軒毎に見て廻つた。斯んなに詳しく家毎人毎に就て調べたのは、実に翁自身も始めてなので、見《これ》まで議会や世間へ向て訴へて来た悲惨は、事実の百分一にも足らなかつたことに驚いて仕舞はれた。田地が銅毒に侵されてからの一家の零落、肉身の離散を老人や婦人が田舎の飾なき言葉で語る。翁は例の大蛇《おろち》の如き眼球を瞋《いか》らして、『畜生野郎。泥棒野郎』と、破鐘《われがね》の如くに絶叫した。
『皆さん。正造が吃度|敵打《かたきう》ちをしてあげますよ』。
予は翁が斯う言ひ捨てながら、涙を拭き/\出て行くのを幾度も見た。
潮田さんは女丈夫であつた。溶けた雪路の、風のピウ/\吹く中をザブ/\と践《ふ》んで先に立つて歩かれた。病人があるとでも聞けば、穢《むさ》い小屋の下へ、臭いと云ふ顔もせずに入り込んで、親切に力を付けてやつた。若い娘が無邪気な顔して賃機織つて居るのなど見ると、傍へ寄つて、様様々問ひ慰めて、恰も自分の生んだ女《こ》でもあるような愛情を注がれた。容易に涙を見せない人であつたが、村を離れて田圃路へでもかゝると、
『一体、如何すれば可いんだね』
と、柔しい木地《きじ》の女性《おんな》に返つて、ホロ/\と泣かれた。
『政治なんて空騒ぎして居る間に、肝腎の人が皆んな亡んぢまつた』
と、翁が腕拱いたま
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