かつたに相違ない。
 然れども此の「有志者」と云ふ奇怪な一種族が、長い間何程翁を苦しめたかを考えると、予は実に此人を気の毒に思ふ。「有志者」と言ふのは、何時でも勝手に逃げて行ける人のことだ。
 此の無責任の大群が、恩人顔して出放題を吐《つ》くのだから堪えられるもので無い。けれど「運動」と云ふものには此の「有志者」の虫が必要だ。「運動」が景気づけば、此の有志者も自然世間へ顔を売り出すことになる。翁の鉱毒問題が、此の「運動」時代に居た頃は、「有志者」も盛に集まつた。けれど今や翁自身が政治と云ふ運動場裡を退出した。翁の事業が日一日と世間的で無くして精神的に落ちて行く。昨日までは、翁が運動団の帝王で、有志者は将校士卒であつた。然るに翁自ら帝王の権威を抛棄した今日は、主客其の位地を変じて、却て有志族の圧迫に苦しめられる境遇に陥ちて仕舞つた。鉱毒問題が新聞に二号活字で記載せられ、少しく世間の景気が付くと、忘れて居た有志者が、直ぐ何処からともなく寄つて来て、大きな口を利く。而《そ》して世間の評判が消えると、此の有志者も亦た共に烟のように亡くなつて仕舞ふ。予は谷中村破壊の最後の幕まで、翁が絶えず此「有志者」と云ふ恩人の為めに苦められて居るのを実見した。
 翁は今年七十だ。然かし体躯《からだ》は以前《まえ》よりも遙かに健康《よく》なられた。直訴の時分には車が無ければ歩行事《あるくこと》出来なかつた人が、今では腕車《くるま》を全廃されたと云ふ。顔の皺も近頃は美しく延びて、若々となられた。
『六十の翁は義人であつた。けれど七十の翁は既に聖者の域だ』。
 予は斯う思ひながら、団扇《うちわ》を取て顔の蝿を払つて居た。
 日の西に傾いた頃、翁はポカリと目を覚まして、是れから番丁へ行くと言はれる。予は一泊を勧めて見たが、明日村へ帰へらねばならぬからと言はれゝば、強いて引き留めるわけにもならぬ。
 翁は障子口に坐つたまゝ、太い腕を背後《うしろ》へ廻しながら、
『深呼吸と運動とで、リヨウマチも先づ/\退治て仕舞いました』
と言はれる。
『どうです。一つ静坐《すわ》つて御覧になつては。貴方などは一度で直ぐ御わかりになりませう。自己流では失張駄目です。今夜お泊りになつて、一度岡田さんにお逢いになつては』
と、予は勧めて見た。翁も一寸考えて居られたが、
『村の用事が重なつて居るんで』
と、首を傾けなさる。
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