聴きながら、戸毎々々に廻はる。潮田さんは折々雪中に彳《たゝず》んでは、目を閉ぢて黙祷して居た。翁は堪へることが出来ず、真赤になつて叫んだ。
『田中正造が、きつと敵打ちしてあげますぞツ』
かう憤つては、大きな拳固で、霰のやうな涙を払つた。
その夜は沼辺の旅店に泊つた。潮田さんと松本さんは、昼の疲労で別室へ行つて寝てしまつた。
翁は寝床の上に端坐して深い瞑想に沈んで居る。僕も坐つたまゝ翁の容子《ようす》を見守つて居た。
行燈《あんどん》の灯がほのかに狭い室を照して、この世のさながら「無」の如き静寂。
何程の時を経たであらうか。
『政治をやつて居る間に、肝腎の人民が亡んでしまつた』
一語、煙のやうに翁の唇頭を洩れた。
かくてまた何程の時を経たであらうか。
翁は何か物に驚いたやうに、フイと顔を上げて見廻はしたが、僕が未だ起きて坐つて居たので
『や、これは/\』
と言ひざま、山のやうな体躯を、どたりと倒れるやうに横たへて、すぽりと夜具を顔までかぶつてしまつた。
僕も枕に就きはしたが、水のやうに気が澄んで、眠ることが出来なかつた。
若き友よ。
田中翁を思ふ時、僕の目には必ずこの夜の光景が浮ぶ。爾後
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